愛の日記


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二重価格 2015年08月22日(SAT)

  銀行に預けてある100万円と、現実に手元にある100万円と、基本的には同じ価値があると思われています。

しかし、状況によっては、現実の手元にある100万円が預けてある1000万円よりも価値がある、、、そんなことも起こることがあります。

世界的に暴落気味の株価ですが、ついにニューヨークの株価に火が付いたようです。

安倍政権にとって、日本の株価は何があっても守らなくてはならない自身の存在の基盤的重要性がありますが、ニューヨークも同様の構図です。

金融勢力の最後の砦がニューヨーク株価で、どんなにおかしいと思われても、何かやってるんじゃないかと疑われても、これだけは死守してきた、、、それがニューヨークの株価。支配勢力の最後の砦。

その株価が崩れてきました。中国のアメリカ国債売り崩しが密かにあったはずで、米中は基本的に裏では戦争状態にあるのだと思います。

国債売り圧力の前で株価維持ができなくなりつつある、、、債権市場は株式市場よりもはるかに大きいので、債権を支えねばならないとなると、株式に回すお金などどこからも出てこなくなります。

国債市場が暴落することは、簡単に言えば国家の終焉ともなる事態ですから、こちらを支えることで、株価対策に回す金がなくなってきます。

どの国もお化粧していた株価や債権価格ですので、こうなると弱いわけです。

今、世界に起きている状況は、見せかけのものと本物の違いの区分けでもあります。

同じ100万円でも10倍以上の違いが段々と出てくる、、、そんな方向に向かいつつある。

金融経済は見せかけの部分が肥大し、本質的なものは逆に見せかけの時代では小さく見えます。

なんだか人間にも同じことが言えそう。おお金持ちの人が割合と質素な服や生活をしていて、一見華やかに見える人の財政が意外に苦しい、、、そんなことが多い気がします。

金融経済ではお金を融通できる力量のことを信用という言葉で表現しますが、信用こそ信用できない構造を持っているのが金融経済界です。

株価程度はインチキ操作で国費を注ぎ込めばどうにでもなるでしょうが、債権市場に赤ランプがともるとそれどころではありません。

これまで相当のインチキをしてきたニューヨーク株式ですから、それが支えられない状況は、実は深刻です。

いよいよ、、、という流れであり、あらゆる価格の二重性が今後わかってくると思います。

事変の最初の頃は、まずすべてが売られることになり、値が付いているものすべてが安くなりますが、今回はどうなるかわかりませんが、基本はそうです。

その後、債権が売られることで、お金の価値自体への不信が出てくる形となります。お金への不信でも、インフレの形を取る場合と、数字上のお金の価値の毀損の形を取るケースがあるでしょう。

すでに数字上のお金には、その価値の毀損が起きているかもしれません。

私たちが銀行から卸す数万円程度のお金には何ら問題がなくても、どこかの国では、数十億円のお金を移動しようにも移動できない、、、そんな事態がすでに起きているかもしれません。もしかしたら、、、の話しですが。

今後、あらゆるところで起きてくる二重価格は、私たち自身にも大きな影響を与えると思います。

自分にはどういう力があり、どういう価値があるのか、、、社会的なことで、家庭的なことで、経済的なことで、能力的なことで、自身の自身に対する価値判断において、こうした追求が起こる時代になります。

その際に嘘は通用しません。なぜなら、嘘の部分が剥がれ落ちるためです。同じ給料をもらっていても、嘘の評価でもらっている人は弱く、実の働きの成果としてもらっている人は強くなります。

それは、家庭でも個人間の人間関係においても同様でしょう。何より、自分自身をどう受け止めるかにおいて、嘘の部分が剥がれ落ちますので、逃げ場のない状況がいたるところで起きてくるのではないでしょうか。

しかし、本当はそんなことはどうだっていいことなのです。剥がれ落ちた結果、自分がバカだとわかったら、私はバカでした、、、と、気づき認めれば、それで問題は終えられるのです。

すべての虚飾が剥がれ落ちる時代とは、事実を認めさえすれば、それを個性として受け入れてくれる暖かで優しい時代の幕開けでもあるのです。

自分の何が剥がれ落ちるか、、、私たちは本当は楽しみに待ち、素っ裸の自身に愛を向けることで、すべての人が救われる時代の到来ともなるのです。

なので、危険もなければ不安も不要です。ただ、自身のイメージに最後までしがみつき、剥がれ落ちて失う者の中に価値を見出すしかない人は、大変だと思います。

結局本当の不幸は、嘘つきであるということなのです。
それさえわかっていれば、どんな困難な時代も越えることができます。

さて、今週のMI池田山ハウスは、本日の土曜と明日の日曜のお昼からオープンしていますので、ぜひ遊びにいらしてください。

これからの時代を共有する場としての池田山ですから、自身の生き方をどうにかしたい、、、と思っている人には、きっと多くのきっかけを与える、見えないもののそんな波動を与える場になっていると思いますので、一度はぜひいらしてください。

本日は二時から「過ぎ行く夏のお茶会」として、たわいもないことでいいので、この夏のことなど話しながらお茶したいと思います。午後二時からです。

明日の無料セミナーはやはり午後二時から、大人気の「エンジェルチューナーのすべて」として、その使い方や内容についてお話しいたします。

エンジェルチューナーをお持ちの方はぜひいらしてください。関心がある方もぜひどうぞ。お持ちでない方は、モニターチューナーがあるので大丈夫です。4224hzの音だけでも聞いていただきたいです。

話しは変わりますが、日本文化の根底にある和歌、、、和歌を古代旋律にのせて歌う披講は、あらゆる文化の根底に位置するにも関わらず、その伝承力は弱く、冷泉家と宮中で細々続けられています。

民間での本格的なものは、私が名誉会長を務めている星と森披講学習会があるだけです。

日本文化のお華やお茶は世界的に影響力があるほど発展しましたが、本来、歌のない、すなわち披講のないお茶会や華道は、異常なことで、本当はありえないのです。

そのことは、おそらくあと数十年もたてば、日本文化が再評価されるあかつきに、日本文化の構成が世界的に研究されることとなり、その中心にあった和歌と和歌披講が特別に重要なものとして位置づけられると、私は信じています。

ヨーロッパの優れている点は、文化を系統的に体系的に位置づける姿勢です。日本文化がそうした形で再評価される日は必ずやってきます。

その際に、和歌と和歌披講の存在は、特別に重要なものとなるわけですが、その重要なものを知る日本人が実に少ないのです。

まして、実際に披講の技術を知る人は、お華やお茶に比べたら、数万分の一程度。非常に心もとない状態であり、今回の二日間の披講セミナーは貴重な機会だと思いますので、関心がある方は、ご参加ください。

9月1日と2日の丸二日間にわたりますので、その基礎を学ぶことができ、実際に歌えるまで指導いたします。

あなたが世界に旅立つとき、海外の方がもっとも知りたいのは、日本の文化です。和歌の披講が最大の客人のもてなしであるという点からも、正式な場において、これほどのサービスはなく、あなたは大統領でさえもてなせる最高の技を習得することになります。
 



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