愛の日記


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健康立国 2018年09月26日(水)

藤原直哉先生はこれから日本人が目指す方向性の、もっとも重要なものとして、国民の健康を取り戻すことに主眼を置いています。健康立国と言っても良いかもしれません。藤原先生がおっしゃる健康立国には、働き方など、社会組織面での健康も含まれますが、ここでは、体の健康について、お話しさせていただきます。

これから自分を含む仲間や家族が、しいては世界の人がどのようにして健康を取り戻していくかを、私は構造的に考えてきました。

健康を取り戻すためには、なぜ不健康になったのか、、、の視点に立つ必要があります。病気になったら治すことに力点が置かれてしまい、医者に任せきり、、、というのがこれまでのパターンですが、本当にそれで良いのでしょうか。

病気になるには、なった理由があるはずです。そこに視点が置かれれば、なぜ自分が病気になったのかが理解でき、それとは異なる考え方や生き方に力点が置かれていくはずです。

病気は神様がくれた白紙の手紙、、、という言葉を聞いたことがあります。それを読み解くのが病気の人の務め、というわけです。

この時、個々の不注意や意識や考え方が、病気の原因になることは当然ですが、それと同時に、あえてそのような状態に持っていこうとする力や風潮が社会にあることに気づかないとまずいのです。

社会は、本気で私たちの健康を考え、それに沿うように作られたり、運営されているのか、、、という視点でもあります。結論から言いますと、本当に悲しいことではありますが、社会の風潮、マスコミの性格、企業体質、国家体質は、一部では一生懸命やっている善意の人もいるのは事実ですが、おおむねは、私たちの健康が損なわれる方向に進んでいます。

そうしないと物が売れない、、出世できない、、、利益が上がらない、、、ということなのでしょうが、よく目を凝らして見ると、それは悪魔的でさえあります。

不健康不安恐怖本位制で、この世は動いています。ユングが戦前にドイツ国民の中に敵意と憎しみが高じてきているのをみて不安に思うのですが、その際にはっきりと、「この世は悪魔が動かしている」と言います。
戦前はユングのような天才的な人にしか見えなかったものも、今では、私たちが注意深く社会を見つめるだけで、「こりゃ、悪魔だよ、、、悪い奴が上にたってるよ」と、簡単に見抜けるようになりました。その意味では私たちも利口になっているのかもしれませんね。

いいにくいことですが、私たちは不健康にさせられている、と言っても良いくらいのことが今の私たちの社会や世界で起きています。なので、多くの人が不健康に陥っているわけです。

具体的にあげつらうこともできますが、個々の良い悪いではなく、大元となる不健康要因があると思うのです。そのポイントさえつかんでいれば、ほとんどの人を不健康にできる、、、というポイントです。それもわからないように、うまく。

まさか、そんなことあるわけないじゃない、、、と思われるのは自由ですが、何らかの悪意とは別にしても、結果的に、不健康に陥るためのポイントが実践されているということは事実ではないでしょうか。

悪意ではないにしても、そうしていれば儲からるから、、、というところから来ている策略、もしくは結果論かもしれません。とは言っても不健康にされてはかないませんので、私たちは防衛の意味でも、このポイントを知っておいた方が良いのです。

通常の健康を維持する基本的なものを奪われていると、私は思っています。

長い人類史の中で、私たち人間が居たところ、その場所は、海と陸です。海辺での生活が長かった人類の歴史。体毛が抜け、水流に沿って体毛が流れるのも、また水流が直接触れない部位だけには体毛が残ったのも、私たちの祖先が海辺で暮らしていたことをうかがわせます。陸だけにいた生物の体毛が抜けるはずはありません。

その頃の人類はおそらく海でいるかと友達だったことでしょう。しかしいるかと道を別つときが来たのです。いるかは、「俺たちは海に残るよ。お前ら人間は陸に戻るのか。それも良いだろう、、、がんばれよ」という時があり、それぞれ別の道に進んだのだと思います。

まあ、勝手なたわごとではありますが、海と陸が人間の重要な居場所であったことだけは事実です。そして現代の生活は、その両方とも私たちから奪ってしまったのです。

アスファルトジャングルでの生活は、海と遠く、大地とも断絶。

具体的には、海との離別は、マグネシウムの枯渇を生みました。マグネシウムは人が生きていく上での必須栄養素です。海にたくさん含まれています。必須栄養素のどれがとくに重要かは言われませんが、私はそれがあると思っています。それがマグネシウムだと思うのです。

現代人は確実にこの栄養素不足に陥っています。要するに海と断絶されたのです。マグネシウムは海そのものだからです。イルカは去っていく時、きっと言い残したはず。「陸もよいけど、マグネシウム不足はダメだぞ、、、人間にも海が必要なんだぞ。」と。

ほとんどの酵素の働きの総元締めであるマグネシウム。これが不足すると、全酵素もカルシウムもあまり意味をなさないので、司令塔的重要性があります。マグネシウムの慢性的不足は、人間の体調の全般を容易に狂わせることができます。しかし、マスコミでも医学でもあまりそのことを言いません。お題目として、必須栄養素、、、ということではありますが、それが要であることを誰も語りません。

海との断絶によるマグネシウム不足を、まず、現代人の不調の第一位の原因にあげたいと思います。もちろん、個人差や環境差はありますが、おおむねの話しとしてお受け取りください。

次に大地と人間の関係です。ここにも明らかな断絶があります。

人体の中で、今、もっともさげすまされている部位はどこでしょう。私は足だと思います。美人でおしゃれでどこから見ても美しいのに、夏靴からちらりと除く足を見て、がっかりすることがあります。

靴を履く生活に問題があることも確かですが、靴に関した文化的背景が日本と海外では異なります。日本人はほとんどが、ぴったりのの靴よりもやや大き目の靴を選ぶ傾向があります。これは海外に比べて靴文化がまだ短いせいもあるかもしれません。靴を生理的に考えると、足と靴が一体化するぴったりの靴でないと、色々な問題が生じます。
子供や成長期のことを考えると、つい大き目の靴を購入するのは仕方ないかもしれませんが、基本はぴったりとする靴で足と一体化した方が疲れないし、足に負担がかからないのです。

日本ではつい大き目の靴を購入する方が良いだろうと思う方が多く、靴による足への不自然な負担がかかっている人が多く見られます。海外の人に比べて足がデコボコしていたり、小指が押し込められて変形するケースが多い気がします。足の変形を防ごうとして、さらに大き目の靴を選ぶという悪循環もあることでしょう。

何が言いたいかというと、日本人の場合、靴文明がまだ浅いことによる色々な誤解が足を痛め、全体の不調につながることが多いということです。

靴については選び方を工夫すれば対応できますが、大地とのつながり、という観点に立った時も、足は重要です。まず、足をきれいにしておくことで、大地とのつながりの第一歩が回復されます。

次に、足と大地との関係、アーシングでもあります。アスファルトジャングルの中で、私たちは異常な帯電状態にあります。帯電した電気は体内への雷現象を生じますし、電気系統で動く人間の全般的健康に影響を与えます。

靴をはき、大地とつながることを失い、道もアスファルトで大地と断絶。それはアーシングできない状態であると同時に、地中エネルギーを得る機会を失う日々であることを意味します。

地中にはフリー電子がたくさんあり、それを得ることで人間の元気や活動が左右されていると考えられます。

大地とのつながりを失った歴史は人類史の中でもわずか100年にも満たないことですので、100年前の人がもし今アスファルトの上に来たとしたら、立ちどころに気持ち悪くなったり、倒れてしまうのではないでしょうか。

帯電と自由電子の不足によるものです。私たちはそれを生まれてからこの方、ずっと受けているのです。高層住宅は確かに景色はきれいですが、帯電、大地とのつながりの断絶の面から、もっとも価値のないものとなるでしょう。何百万年も大地とつながって生きてきた人間の歴史の中で、わずか、戦後の70年程度で、あっという間にすべてはアスファルトジャ-グルに置き換わったのです。健康にとって、とてつもない窮状と言えます。

アーシング、及び、空気中への放電が必要になります。大地とのつながりを再び取り戻すために、足に注目しなければならないのです。病人の足は汚れているものです。大地を忘れて人は健康的に生きていくことなどできません。これが医学では一切語られもしないのです。

海とのつながりを取り戻す、、、大地とのつながりを取り戻す、、、、

この二点がまず健康を目指す人が注視せねばならないポイントです。そしてもっとも重要な天とつながる、、、の視点については、また次の機会にお話しさせていただきます。



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属 あっちの世界とこっちの世界 2018年09月22日(土)

 あっちとこっち。あっちの世界は見えない認識できない世界。こっちの世界は、今、私たちが生きていて、存在していると思っているこの世界と、それに関連するあらゆる世界のこと。前回もお話しした通りです。

あっちの世界は一切認識できない世界であり、アクセスする方法もありませんが、あっちからすべてのエネルギーが訪れ、こっちの世界を動かし生かしています。

こっちの世界は、今、私たちが見ている、また考えられる世界のことで、地球だけでなく宇宙もこっちに入りますし、四次元とか5次元とか6次元とかいうものも含む、霊界をも含む世界のことです。

本当に5次元や6次元や7次元というものがあるかどうかはわかりませんが、そんなに難しく考えなくても、あっちとこっちで十分な気がします。高次元という概念が出てくると、どうしても存在自体に上下があるような、わかりにくいものとなりますのであっちとこっちでいいのです。

人間もいつかは高次元に達し、いずれは悟る、、、という考えもあると思いますが、どんなに崇高なものに見えても、それはこっちなのです。次元が低かろうが高かろうが、こっちはこっち。認識の対象になるものは、みなこっちのものです。

あっちは認識できない、計測できない、理解できない、どんなに人間が素晴らしく高次元になっても、それでも認識できない世界があっち。

一言でいえば、無の世界です。有りて有りて有りて有る無の世界。それがあっち。

あっちのことはわかりませんが、こっちは必ずあっちと一体となって存在しています。あっちからしかエネルギーは来ませんので、こっちはあっちがなければ一瞬にして消えてしまいます。

あっちの世界を私たちは見ることも触ることもできませんし、認識することも無理ですが、あっちの世界がこっちの世界をどう生かしているかを見ることはできます。こっちの世界を存在させている、こっちの世界を動かしているその背景様があっちです。
私たちを生かし、すべてのものを存続させる背景様、、、おかげ様でもいいかもしれません。こっちの世界の働きを見れば、その背景にはあっちの力があることがわかります。

一言でいえば、昨日も言いましたように、それは命です。

命は何によって存在しているかというと、喜びです。あっちの世界の実体は命であり喜びであり、それだけです。

私たちはそれをこっちの世界の働きを見て感じ取る以外にできませんが、私たちは死ねばあっちの世界に入れます。入ることはできるのです。命はあっちのもので、こっちで死ねば命は古巣のあっちに戻ります。しかし、その際、一元の世界に戻ることとなり認識する立場がなくなるので、体験としてあっちの命そのものに戻るわけです。またこっちで死んでも意識がこっちの世界に向いていれば、すぐにはあっちには戻りません。

通常は死ねば喜びだけの命の世界に戻るわけですが、こっちの世界にも様々な命のありようがあり、意識がこっちの何かにフォーカスしてしまうと、なかなかあっちにもどらない命もあると思います。幽界や霊界もそのひとつだと思うと、わかりやすいかもしれません。宗教も残念ですがこっちの世界のものです。

ともかくあっちとこっちに共通するのが、命と喜び。これ以外にありません。わかりやすく考えた方がいいのです。

命は共通です。命はあっちのものですが、こっちに来て色々なものを作り動かし存続させます。命にエネルギーがあり、意識がそれを運びます。喜びも命と同体であり、喜びの表現が命なのだと思います。

こっちの世界を存続させているのも命と喜びですが、こっちでもそれはあっちのものですので、こっちの世界での命と喜びは、あっちと同じものなのです。

ここに重要なプレゼントがあります。こっちの世で、私たちは泣いたり嘆いたり悲しんだりひがんだり恨んだりしていますが、それらはすべて嘘であり、実体がないのです。それはこっちの世界で劣化し崩壊に入った現象であって、すべて嘘です。不幸も嘘、悲しみも嘘、、、、そんなものは本当にはないのです。

しかし命の喜びはあっちと同じです。こっちの世界でも喜びと命は本物なのです。それによってこっちの世界も存在できているのです。なので、悲しみや不幸は嘘。命と喜びは本物という、まさに福音現象がこっちの世界でも起きているのです。

意識とは、何を見ているかに尽きます。喜びと命をみていれば、私たちはこっちにいながらあっちにいるのと同じです。意識は圧です。意識したものに従って反作用が訪れます。意識が喜びなら喜びが戻ります。悲しみと嘆き、恨みなどを見ていれば、こっちの世界に幽界ができるでしょう。実際にできているわけです。

そこで人はいかに生きるか、、、ということになるわけですが、喜びと命以外は嘘だと捉えられるようになることです。その視点でこっちの世を生きれば、こっちの世もあっちと同様になるはずです。はず、、、というのは、私も到底まだ達していないので、はずと思っているわけです。そこらへんはみなさんとまったく同じか、むしろわかってない方かもしれません。

私も皆さんも、これからもきっと、こっちの世界で悲しいことに出会ったり、不幸な出来事に遭遇したり、どうにもならない恨みを抱いたりすると思います。しかし、そんな際にでも、それは嘘であると知りつつそう思うならば、ずいぶんと違ったものになっていくと思います。逆に喜んだり嬉しかったり命の躍動を感じた時は、それは嘘ではないのです。実体なのですから、くったくなく喜びそのものになればいいわけです。

悲しんでもいいけど、苦しんでもいいけど、どこかでそれを嘘と知りつつ、嘆く。喜びの時は素直にあっちの世界を味わう。そんな風に生きていけば、私たちはそんなには道を大きく間違わない気がします。
 

あっちの世界とこっちの世界、、独り言 2018年09月20日(木)

私たちが暮らすこの世界、地球、宇宙があります。もう一つ、目に見えない、測ることもできない、認識できない世界がなくてはおかしいのです。

私たちが暮らす世界をこっち。見えない認識できない世界があっち。

目に見える世界があるということは、それを生じしめた見えない世界がなければおかしいのです。有から有が生まれることはありません。有は無からしか生まれないからです。

こっちの世界には、人が住み、動物も植物もあり、食べ物も水も音も電気もある、私たちが実在と思っているものすべてがそろっています。

その中には、一見、あっちの世界に属するように見えて、実はこっちの世界の物であるものがほとんどです。例えば、思考や思想や宗教。そして、霊や高次元の世界と呼ぶ一見形而上的なことまで、実はこっちの世界のものです。

なぜなら、それは認識できるものであり、何等かの定規で規定できなくないものだからです。神は高次元の世界にいる、、、という話しはよく聞きますが、こっちの世の低次元もこっちの世の高次元も同じこっちのことになります。

認識できるもの、認識の対象にしようとするものは、すべてその時点において、こっちの世界に属しているのです。

では、私たちはあっちの世界を認識することは永遠にできないのでしょうか。認識できるものはすべてこっちの世界のものなので、できないといえますが、認識できないまでもひとつだけ、あっちの世界と共通するものがあります。

それは「命」です。こっちの世界で命を失うことを死と思っている私たちですが、命は死ぬことはありません。命はあっちの世界のものだからです。命をこっちの世界のものだと思うところに、根源の間違いがあります。

命はあっちのものなのです。あっちは命そのもの。私たちはこっちの命が死んだように見えて、あっちの世界に戻るだけ。もともとあっちから来た命なのです。

こっちとあっち。ふたつの世界を本当に知るには、命を通す以外にありませせん。

本来、こっちの世界とあっちの世界は重なって存在しています。すべてはあっちからくるのですが、こっちはあっちと重ならない限り、継続できません。

常にエネルギーはあっちからしか流れてこないので、それが途絶えたらこっちの世界で一秒たりとも生きることはできないのです。私たちの命に限らず、すべてのものを存続させるエネルギーはあっちから訪れます。

あなたもあなたの服も、手にしているペンシルもプラスティックの下敷きも、家もビルも道も、あっちのエネルギーを得ない限りすべては一瞬にして消えてしまうのです。

すべてはあっちが生み出した命です。人にも物にも命が宿っています。その命はあっちのものですから、あっちと関係が途絶えたらすぐにこっちの世界の命は消滅します。

元々、命しかなかったということでもあります。有りて有りて有るあっち。要するに命です。こっちの世界の事柄もすべて、あっちの命あってのものですから、こっちのあらゆる現象や存在の意味なども、命という視点から捕えることしかできないのです。

幽界も霊界もこっちの世界です。お化けの世界もこっち。こっちでの命のこじれ方として捉えるとわかりやすいです。霊界もそうです。すべて認識しようとした時点でそれはこっちのものとなります。

命だけはわからない。命の出どころも、なぜそうなるのかも、命は何かは永遠のこっちの世界ではとらえられない不思議なのです。

では、認識できないのなら、あっちにアクセスすることは不可能に思ってしまいます。しかしそうではないと思います。あっちは認識できない世界。すなわち無の世界です。こっちの世界で言う無は、あったものが無くなる無ですが、本当の無はすべてを生み出す無です。その無は、思うことでも希望することでも考えることでも到達できない無。

しかし、こっちの世界でも共通する無はあるので、無になりきれば、その時、私たちはあっちの世界とかさなる地点にいることになります。あらゆる病気はその無と一体化することで治ると思います。もちろん私にはできないことなので偉そうには言えませんが、死んだらあらゆる病気が治るように、無になれば同じことが起こるはず。無はエネルギーそのもの、命そのものだからです。

何も考えない、無の意識圧よりも高いものはありません。命は一つの意識圧も同じことです。命はひとつ、、、あっちは命だけの世界、、、無。

考えてばかりいる人はエネルギーを失うのです。無、無、こっちの無ではなくてあっちの無。命がどこから来たかなんて、誰も分からないように、無は命と同じ。私たちは誰一人も欠けることなく、あっちの無、命によって生かされていることになります。

無になりきる、、、命になりきる、、、命そのものになりきる、、、子供が比較的元気でいられる理由です。

誰でも赤子のようにならなければ天国に入ることはできない、、、、イエスの言葉です。命の世界に入るには、無しかない。命に成りきるしかない。

永遠性の体現された芸術から学ぶのも良いかもしれません。意識改革です。意識は無や命とどう関係するのか、、、また、次回お話しさせてください。

もう一段上の健康情報 マドモアゼル・愛の「健康&長寿法則」セミナー
11月25(日) 午後1時から4時
場所 マドモアゼル・愛アトリエ(尾山台)
参加費  14000円 (マドモアゼル・愛健康促進セット付き 非売品)

内容 健康の喪失の時代です。形だけの長寿者は増えましたが、お年寄りは皆、どこかお苦しそうにしています。老人に限らず、日本人には本当の健康が失われつつあるように感じます。
その原因は色々あると言われますが、やはりポイントとなるものが確実に存在しているのです。

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エネルギーの法則から生まれた金銀ハマグリン  2018年09月18日(火)

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エネルギーがすべてを作りすべてを動かしすべてを維持しています。状態が一定の物はこの世には存在せず、すべてエネルギーの状態を反映して存在しています。

物は物ではなく、エネルギーの状態を示しているだけですので、壊れることも崩れることも立派になることも腐敗することも消滅することもあるのです。

それは、物が変化したのではなく、エネルギーの状態が変化したにすぎません。

すべてのことを物質から見るのと、エネルギーから見るのとでは、似ているようでいて、まったく異なった世界にアクセスすることになります。エネルギーを見ることは、実体の世界を見ることであり、物質を見ることは、幻想の世界や幽界を見ていることになるのです。

物質は結果であり、肉体も結果です。エネルギーの状態を表現している表現物質です。

物に変化があるように、肉体にも様々な変化があります。エネルギーの状態が変わるからで、年を取るからではありません。

睡眠不足や年齢や食事の影響により、肉体が変化しているように見えますが、睡眠不足や年齢や食事がエネルギーに対して何等かの条件づくりをした結果、肉体や物質が変化しているのです。

実際、恋に夢中になっている少女は睡眠不足でも肉体に問題を起こしません。多少問題ある食事をしても、エネルギーに直接かかわることではないので、すぐに体調に変化がでるわけではないのです。物には何の力もないからです。

問題あると言われる食事が何等かのエネルギー阻止の条件づくりをするケースが多くなるので、それを問題ある食事と言っているに過ぎないのです。エネルギー豊かな塩酸に私は指をつっこまれましたが、痛くもかゆくもありませんでした。その塩酸を10円玉につけると一瞬にして色が変色しましたので、塩酸の性質を失うことなく、私の指には無害だったわけです。

物質はエネルギーの状態が問われるわけで、物質に良い物も悪い物もないのです。

物には何の力もありません。エネルギー状態に意味があるだけで、エネルギーの変化が、あたかも物の変化を生み出したように誤解しているだけです。

癌にかかっても、それは結果であって、どうなるものでもありません。結果を変えようとしても、結果に出てしまったものは、どうにもならないのです。受け止める以外にない。しかし、なぜ、癌になったのか、、、それには、必ず、そうなる条件があったはずなので、それを見つめる以外にありません。

日ごろの考え方に、癌を生じる条件づくりはなかったか、、、、
日ごろの生活態度の中に、癌を生じる条件づくりはなかったか、、、
日ごろの気づかない意識の中に、癌を生み出すものはなかったのか、、、

そうやって考えていけば、必ず、何かのヒントが得られるはず。それを変えれば、癌を形成した条件が外れますので、新たな結果が生じることになり、奇跡も起きるわけです。このうちもっとも大きな間違いは、自他をことさらわける考えや意識です。命がひとつ、との意識にかなうものはなく、ついに行き詰った際にあなたをどんな状態からも助け出してくれるものは、命はひとつ、の意識になります。

しかし、癌になったら、運が悪かったと思い、なんで自分が、、、と考え、早く治してまた元の生活に戻ろうとする、、、、ので、治らないわけです。

元の生活や意識や考えがきっかけになっていたのですから、元にもどったら治らない。再発のメカニズムに入ります。

何かを変えなくちゃいけない。順番としては、食べ物、生活態度、考え方、意識という順番で重要になります。より微細な条件が大きな現象を生みますので、意識が変わればすべては変わり、食べ物を変えた程度とは異なります。

もちろん食べ物を変えることは重要ですが、意識がそのままでは発病のメカニズムは越えられません。

癌に限らず、開運的なことを目指すなら、「私が悪かった、、、私が間違っていた、、、」と、心底思えたなら、すべての現象が変化を早める。もっとも微細な作用、すなわち意識を変える以外に新たな結果は生み出せないのです。私が悪かった、、、、と言われてしまったら、もう外界は変化する以外になくなります。

健康法も大事だし、食事も大事だし、運動も大事。確かにそれらは健康への条件づくりではあるので、大事なのですが、意識が変わらなければ、大した変化は訪れないことを、私たちは知っておくべきです。

このうち、もっとも大きなものは、命はひとつであり、外界のものと異なる点を探すのではなく、共通点を常に意識して生きることに他なりません。自分は彼であり、自分は大地であり、自分は外界であるとの認識に立つことで、あらゆる問題は解決し、またあらゆる問題は共通意識の不足から生じてきます。

共通意識を最大に取り去ったものが、戦争という状態を生むのです。

このように、エネルギーに働きかける最良の条件が意識であるということが分かったと思います。あとは実践あるのみです。

さて、次にエネルギーの法則として、圧が高い方にエネルギーが集まることを知る必要があります。海は汚れてエネルギー不足に陥ると台風を起こし、あえてギャップを作ります。ギャップが作られれば、それを元に戻そうとする力が訪れますので、海はエネルギーを得ることができます。

ギャップがあれば宇宙は必ずそれを元に戻そうとしますが、それが本当のエネルギーです。その際に、エネルギーが流れる方向があり、圧が高い方にエネルギーが訪れるのです。ギャップはそのために必要になります。

ギャップとは変化です。変化があれば、変化条件となっている圧の高い方にエネルギーが訪れます。というより、変化自体が圧が高くなった現象そのものなのです。このうち、意識が変化すること自体が最大のエネルギーを呼び込みます。

世界の中央で愛を叫ぶ、、、という本のタイトルが確かありましたが、それは劇画的な面白さであって、エネルギー的に言うと、愛はささやいた方がベターかもしれません。

その分、意識圧が伴いやすいからです。絶対と思ったことより、ふっと気づいたことの方に、大体は真実があります。微細な意識にまさる作用はありません。小さな小さな自分の中にある意識が、私たちの運命を決めているのです。

微細な動作などを重視する日本文化はその意味でも、この世がエネルギーによって動いていることを知る類まれな文化です。心の中にある意識とは、常日頃、私たちは本当は何を見ているか、、、ということであり、見ている方向へ圧がかかっているわけです。


お知らせ
完全手作りの品をご紹介させてください。

金と銀のハマグリン。私しとスタッフで作った完全手作り品の高周波エネルギーグッズです。

ハマグリの中に工夫を凝らして鈴が入っています。ハマグリというある程度密閉された閉鎖空間内は、外界よりも圧が高い状態に置かれています。

箱の中に入ったものは、何年たっても傷みません。それは箱内の圧が外界の圧よりも高いため、箱には常にエネルギーが注がれているからです。そのため、中に入ったものは傷まないわけです。蓋を開けてしまったら、外界と箱内の圧は同じになり、エネルギーは途絶えますので、箱内の物にもすぐに劣化が始まります。

ハマグリ内の圧を利用し、さらに鈴を鳴らすことで、音圧が高まります。それはエネルギーを集める機能として高度なものとなります。しかも音は微細な2万ヘルツ以上の音が豊富に出ます。それ以下の音は耳に届きますが、届かない音が肌に当たるのです。

耳に届く音は音で、肌に届く音は音で、どちらもエネルギーを集めます。ハマグリンを体に置くだけでも暖かく感じられる人が多くいます。さらに音を鳴らしながら揺らす、さする、、、楽しいエネルギーグッズとなることは間違いありません。

敏感な方は、ハマグリンの映像や写真を見ただけで、何か、尋常でない力を感じると思います。それは私やスタッフが楽しんで、原理を知りつつ作ったからでもあります。はっきり言って、ほとんど利益のない商品です。しかし、これは世界に一つしかない、高周波グッズであり、わかって下さる方には、必ずお守りとなると信じています。動画もぜひご覧になってください。



ハマグリン ひとつ3800円
マドモアゼル・愛 公式SHOP


 

物や結果よりも姿勢と状態に意識を向ける 2018年09月07日(金)

物質より状態 形より状態 物には何の力もない

私たちはつい物やお金が手に入れば目的が達成されたと思いがちです。それも手に入ればまだしも、欲しい物が手にはいらなければ、さらに物への欲求にしばられたりします。

しかし、本当に物に価値があるのでしょうか。物は結果であり、結果物を欲しがるという矛盾が実は存在します。物が欲しければ、それが入るような原因をつくるしかありません。

本日は動画を下記しました。この動画は、これまで二回にわたってお話しさせていただきマグネシウムをどのようにして取り込むか、その方法を動画にしたものです。

具体的な方法は動画をみればすぐにわかりますので、ご覧ください。ここでは重要なエッセンスについて、改めて語らせていただきます。

動画の内容からマグネシウムを得るには、物理的には少量で計測できないくらいの量しか体内に取り込めないと思います。

しかし、マグネシウム棒から水素が発生する際に、微量ですがマグネシウムが水に溶けていることは推察できます。それは水素発生の量と比例するはずです。

水素発生分に比例するマグネシウムが水に溶けるわけです。ただし、それでも微量です。問題はマグネシウムの量ではなく、マグネシウムが発生させる電子にあるのです。電子不足が生命活動を弱めると私は勝手に思っていますので、電子をともかく発生させたいのです。

それには、物としてのマグネシウムやクエン酸が必要であるという物レベルの考え以外に、それ以上に重要な動作があるのです。かけまわすことです。かけまわすことで、水素の発生量が増えるという物理現象が当然生じるのですが、実はかけまわすことには、それ以上の意味があるのです。

かけまわすことが、ある一定の姿勢や状態を作るからです。物には力はないが、姿勢や状態には本質的な力があるのです。

人は物や結果ばかりを求めて、姿勢や状態の維持に目を向けません。

マグネシウムとクエン酸が水で溶けあうことで、化学変化としては条件が同じでさえあれば、何度やっても同じ結果の水素が発生しますが、電子の発生はまた別だと思います。電子も物質なので、あるいは、それ以前の問題かもしれませんが、それを発生する際のかけまわす姿勢や状態が重要なのです。計測できる世界と計測できない大源の世界があるからです。

これはスタップ細胞にもおそらく言えることだったと思います。叩く、、、ことの重要性。しかし、どこかの研究者が冷たい気持ちで懐疑的に叩いても、結果がでないのです。当たり前なのです。意識が優先されて物ごとが作られるからです。太源の計測できない世界へ働けないものが、結果である現実を作ることなどできません。

しかし悲しいことに人は物と結果を求め、決して姿勢や状態に目を向けようとしないのです。

叩く、、、それも楽しく叩く、、、喜んで叩く、、、、きっと電子、または電子におきわかる元物質が豊富にこの世にあらわれるのです。意識に反応して無から有が作られるからです。その原点にあるものが、喜びなど、一定の状態を維持した動作にしか反応しないからです。陳腐で自己保存の冷たい気持ちで叩いても、表れてくるものは失望の結果しかありません。心の姿勢や状態が悪いのです。

心の姿勢や状態が悪いのに、良い結果を出そうとしても無理です。人はいつでも、物や結果ばかりおいかけ、いらいらし、冷たくなり、焦り、不安になったりしますが、それは物や結果を追いかけているからです。物より姿勢や状態が大事なのです。お金のことばかり四六時中考えていると、体を壊します。物からはエネルギーを得ることはできないためです。

また悪い姿勢や状態でいる人が、良いものなど作れません。自分が今、どういう姿勢と状態でいるか、、、それを常に意識することです。そして、良い姿勢や状態を選択すること。そうすれば外界の変化は早くなります。求める物も結果的に手に入ると思います。

姿勢や状態の中で特に大切なのは、喜びです。それによって私たちはエネルギーを得られます。喜びが大元のエネルギーです。喜びがなければ誰でも生きられないようになっています。それが本当のエネルギーだからです。

肉体の健康状態の維持も大切ですが、たとえそれが悪い時でも、意識をあかるい喜びの心にむけることができたら、エネルギーはそこにしか入りませんので、肉体も良くなる可能性が高くなるのです。常に意識が優先されるからです。

それでも人には苦しい時があり、やがて、死の時が訪れます。それでもなを、「ああ、面白かった、、、いい人生だったよ。死にたくないけど、とてもよかったよ。」と言われたら、もうどうしようもない。何も言えない。天国に行ってもらうだけです。意識はあの世にも直結ですから、死に際に幸福だと言われたら、天国に行ってもらう以外にないのです。

たとえ、短命で薄倖で病弱で貧乏で親も冷たい、体も痛い、、、そんな人が死を迎えた際でも、ああ幸福だ、、、と思われたら、どうしようもない。意識が天国なので、もう天国に行ってもらうしかない。

悔しい、試合に負けた、、、これまでの練習は何だったんだ、、、と思っても、それでも、「結構楽しかった、、うれしかった、、、試合できてよかった、、、練習も幸福だった、、、」と言われてしまったら、誰も何も言えない。

社長に首だ、、、と言われてもそれでも幸福、、、という心の状態があれば、何も関係ない。自分が物ではないことに気づく。姿勢や状態が自分だったと気づく。

貧乏でも、「ああ、楽しい」そうした心の状態を維持されてしまったら、どうにもならない。実際、私たちも子供時代は貧乏なくせに楽しんでいた。あれが本当。金がない、、、といらだつ今の自分の方が物信者で、不幸。金がないからと言って良い状態を失っているから不幸なのです。金がないから不幸なわけではありません。一見、引き寄せいの法則みたいですが、引き寄せの法則は、この世的な価値のためにつかわれやすく、原理がその分希薄化しています。

要するにできるだけ良い姿勢や状態を維持することに目を向けること。体にも心にも。そこに意識を向けたら、一定の状態を維持できるのです。そして、意識が見ていることに沿って現実は作られますので、物理的な物は意識の副産物として物質化するのです。

意識が物を作り、物は意識の産物という順番を忘れてはいけません。なので、物には真実はなく、姿勢や状態こそ真実があることになります。
そしてそれが、私がマグネシウム電子を取り込む方法です。初音おばさんのおむすびのようなものです。体に悪い工業的にできた塩を使っているのに、人を健康で幸福にしてしまうおむすび。

マグネシウムを体内に取り入れる方法がやけに難しくなってしまった印象ですが、動画をご覧いただけたら、すぐに理解できると思います。

何回かきまわせばいいのですか、、、右周りですか、、、左の方がいいですか、、、一日に何回飲むのがいいですか、、、こうした質問はすべてこの世的な質問です。そうした物質的な質問には、答える意味がありません。そうした質問をする心の状態がすでに物と同じなので、何言っても無理なのです。

ヨガも舞踏も武闘も、形よりも、それを行っている際の姿勢と心の状態が大切なのです。意識が形に向かっているのを凡人ヨガ、凡人武闘といい、心の状態や意識に向かっているヨガや武闘や舞踏が理想で、意識が無の姿勢を見つめれば、達人に達するのだと思います。

マグネシウムをかけまわしている際の、あなたの姿勢や状態こそが、鍵を握っています。

ぜひ、喜びの思いで、マグネシウムをかき回してください。

「まぐちゃん、頑張れ。水素ちゃん、凄い凄い、、、まぐちゃん偉い、、、」

それによって計測以前の元物質がこの世に出現し出すのです。
思えば、民謡に残る労働の歌なども、同じ原理です。「やーれん、ソーラン」も「エンヤートット」も、それを歌うことで、苦しいはずの労働が喜びのエネルギーワークともなり、捕れた魚も体に悪いものにならないのです。見えない本当の物理の扉が、開こうとしている時代です。




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命の来た道 2018年09月06日(木)

私の話しは科学的な根拠も医学的な根拠もない、あくまで個人の考えであり、個人的な確信に過ぎないことをあらかじめお伝えしておきます。

常識や通常の概念と異なると思われる方がきっといらっしゃると思いますが、個人的な話しとしてお聞きください。また、勝手ではあるものの、私個人は自身の考えに確信を抱いていますため、それを知っていただきたいと思う気持ちがあり、そのためにこうした文章を書いているわけです。

先日のマグネシウムの話しがけっこう広がりを見せ、質問や賛否が寄せられています。そこでもう少し詳しいお話しをさせていただこうと思いました。とはいえ、前回の内容も今回の内容も、あくまで私の考えであって、皆さまに強要しようとか、これが正しいのだ、、、というつもりはまったくありません。その上で書き進めさせていただきます。今の医学や科学を否定するものではなく、あくまで私の考えを聞いていただきたい、、、との立場です。

私は現代人のほとんどがマグネシウム不足に陥っていると思うのです。また、マグネシウムが必須な栄養素であることは事実です。これが不足すると、様々な体の不調が生じます。これは医学的な根拠として言っているのではなく、私の考えですことを再度念押ししておきます。あくまで私の考えを続けます。、

現代人のマグネシウム不足は長期化、そして慢性化していると考えています。マグネシウムは聞くところによると、体内に必要な酵素の働きを潤滑にさせる働きがあるといいます。マグネシウム不足は必要な酵素の働きを阻害すると言っていいと思います。酵素が働かないのです。酵素不足とよく言いますが、酵素をとることも大切かもしれませんが、いくら摂取しても、酵素が働かなければ意味は薄くなります。

次にカルシウムが不足すると骨粗しょう症になると言われます。ではカルシウムを沢山とればそれが治るかというと、話しはどうもそんなに単純ではないようなのです。カルシウムはマグネシウムと一体となって働くようで、マグネシウムが不足している時にいくらカルシウムを摂取しても逆にマグネシウムを減らし、バランスを崩すといいます。医学的に正しい表現かどうかはよくわからないので、私の勝手な言い分なのですが、要するに、カルシウム不足といいつつ、実際にはマグネシウムが必要であり、両者のバランスが取れて初めて骨粗しょう症が良くなるらしいのです。

そのため、最近では、カルシウム剤の中にほとんどマグネシウムを配合し始めました。1対2でカルシウムが2となっているものが多いです。そんなことは最初からわかっていなかったのでしょうか。なんだか非常に無責任なものを感じますが、今ではカルシウム不足の常識が変わり、マグネシウムがないとカルシウムだけじゃダメなんだ、、、とご老人の方も思いだしているようです。

次に、カルシウムもそうですが、マグネシウムは精神の安定に非常に大きい力を発揮します。牛乳を飲むと眠くなるのはカルシウムが精神安定に寄与したわけですが、マグネシウムを摂取しても同様のことが起こります。

私の体感では、マグネシウム摂取によるゆったり気分と精神の安定感は、カルシウムよりもはるかに高度で気持ちが良いと感じます。お店にいらっしゃってくださった方に、今、ほぼ全員に試していただいていますが、精神のゆったり感を抱かなかった方は皆無でした。みなさん、気持ちが良くなったとおっしゃいます。

気持ちが楽になるため、とにかく会話が弾むようになります。お店はまるで喫茶店の様そうとなってしまいます。心がゆったりするのもそうですが、筋肉が緩むのです。これはマグネシウムの特徴の中に、はっきり書かれていました。筋肉弛緩剤のような働きがあるらしいのです。実際に全身がゆったりします。そして体が温かくなるといいます。実際に体温が上がっているかどうかはよくわかりません。

ストレス社会なので、マグネシウム不足がなければ、かなりストレス耐性が出てくるのにな、、、と思わずにいられません。みなさん、ゆったりと楽しそうになさっていきます。私はそれが嬉しくて、いらした方にマグネシウムドリンクをつい無料サービスしてしまうのです。

全身の筋肉が適度に弛緩するというのは、心筋にも良いようなのです。マグネシウムは心筋の突然の緊張や問題を防ぎ、良い影響を与えるらしいのです。心筋梗塞の予防に良いということですね。そう書いてある本が沢山ありました。あと、ふくらはぎのツレ、、、こむら返りを防ぐともいいます。これは本当にそうだと思います。ご老人に多いこむら返りですが、マグネシウムをとった晩からツレなくなった方が何名もいらっしゃいます。今のところ、こむら返りで困っていた方は全員良くなりました。と言っても、まだ4名ほどですので、偶然なのかもしれませんが、専門書にもマグネシウムはこむら返りを予防すると、はっきり書いてあります。

心筋梗塞と言えば、糖尿病から来る心筋梗塞で亡くなられる方が多いと思います。糖尿病は今では国民病と言ってもいいくらいです。あと、筋肉との関係からでしょうか、、片頭痛もマグネシウムで効果あるとする解説が沢山ありました。

実はこの糖尿病は、血中の糖度が抜けない状態が続くわけです。そのため、血がドロドロ化したり、巡りが悪くなったり、血管を詰まらせたりするわけです。さて、これは一部の医者が言っているのですが、血糖を吸収する際にマグネシウムが必要だというのです。一部の医者の考えであって、医学界の常識とは違っていますので、私は何とも言えません。しかし、そうした考えがあり、マグネシウム摂取により、血糖は劇的に下がるという医者がいるのです。

となると、糖尿病は病気ではなく、マグネシウム不足がもたらす症状ということになります。あまりに大それた話しなので、私にはコメントなどできませんが、心情的に一部の医者を支持したくなります。

ざっとあげただけでも、現代人とマグネシウム不足の関係は明らかな気がします。マグネシウムの働きは本当に重要で、そのほとんどを食物から摂取するといいます。海藻や魚や野菜にやはり多いのですが、きくらげや玄米にもかなり入っています。おおざっぱに言って、伝統的な日本の食事では、マグネシウムは理想的に取れたようです。

確かに昔の日本人は異様に健康だったといいます。戦争をした敵方兵士は皆日本兵の異様とも思える体力、タフさに驚いたのです。明治の始めごろに日本にいたべルツというドイツ人は、人力車で箱根までの道のりを夫婦二人を乗せて大して休まずに軽々と行ってしまう車夫の強健さに驚きます。そのことが日記に書かれています。

しかし、太平洋戦争に負けた日本人は、以降、今度は驚くほど体力を消耗し始めた印象で、今では、みんなどこかしら体調が良くない、、、疲れる、、、元気ない、、、という暮らしぶり。戦前と戦後で変わったのは、何と言っても食生活です。それも一言でいうと、マグネシウムが十分だった食生活から慢性マグネシウム不足に至る食生活に変容したのです。

もしかしたら現代人の体調の悪化と疲れやすさの大本には、実はこの慢性マグネシウム不足があるのではないかというのが、私の推論なのです。

こういうと、「ああ、それも一つの原因ですよね」と、平板な印象にまとめられてしまいます。しかし、大きな物事の展開には、キーとなる原因が必ずあるというのが私の考えです。これは素人だから言えることでもあるのですが、私は現代人の体の不調のほとんどの原因が、慢性マグネシウム不足にあると思っています。

必要な栄養素が他にも不足しているとか、ストレス社会であるとか、色々理由は他にもあるとは思うものの、キーとなるポイントがあるはずなのです。

戦後、欧米化した食事のおかげで、体も大きくなりました。寿命も延びましたので、決して悪いばかりではないのですが、あまりに体調不良の人が多すぎます。その原因はきっとマグネシウム不足です。(もちろん例外は多いはずです。あえてキー探しをするため、断定的に言わせてもらっています。ここで上げ足をとられると、大本の原因究明という推理ができなくなるのでご辛抱ください)

戦前に満たされていた栄養素がマグネシウム。戦後不足した栄養素がマグネシウム。戦前の日本人はおおむね強健。戦後の日本人は段々と虚弱化、疲労化。戦後の日本人は体も大きくなって欧米の食事の恩恵は受けているのですが、それは外見だけで、体の芯は弱体化しているとも言えます。こうした国民的疲れを生じさせている原因は、欧米化の食事が悪いというのではなく、ただ大きな一点、マグネシウムの量が戦前と戦後では極端に違ってきたのです。

欧米化の食生活が進むほど、それは顕著になっています。なので、私たちは段々段々と、慢性マグネシウム不足に陥る生活に、今、誰もがなりやすいのです。

もちろんストレスも体調に大きく影響することは確かです。ここが重要なのですが、実はストレスはマグネシウムを消耗させるのです。そのため、ストレス社会であるほど、マグネシウム不足が進行します。

私がたったひとつの栄養素に固執することを異様に思われる方も多いと思いますが、キーポイントはあると思うのです。マグネシウムは最初に書いたように、ほとんどの必要とする酵素の働きに必要です。全酵素がうまく働くかどうかは、マグネシウムと関係するのです。通常の日々の体調の良否と関係しないわけがありません。

慢性マグネシウム不足=慢性的な疲れや倦怠=やがては病変
これが現代の問題の一つの公式ではないでしょうか。

マグネシウムが豊富に含まれている場所は海です。海、、、命が生まれ、育った場所。私たちの命のふるさと。私たちは海から来た命なのです。海すなわちマグネシウムではないですか。

生命が通常の働きをする際に、海の要素、マグネシウムは絶対に必要だったのです。イルカは陸に上がらず、海にいることを選択しました。人間はイルカと海で遊んでいましたが、陸に再上陸していきました。イルカと人間の方向は分かれることになりましたが、どちらにも海は今に至っても産みの親なのです。イルカにとっても人間にとっても。

すべての母、すべてのふるさと、命の大元である海。私たちの体も海とつながっています。血潮であり、体液であり、その元であるマグネシウムは私たちの体の中にある海なのです。

この命の源である海と切り離されれば、私たちの体も心も病んで来て当然でしょう。私がマグネシウム不足にこだわる理由がここにあります。

マグネシウムは元母であり、命の活動の大元。これを慢性的に不足させられている現状があります。

では、どのようにしてマグネシウムを摂取すればいいのでしょう。これも素人の考えであり、医学的根拠も科学的根拠もない私個人の考えをお話しするだけであることをご承知ください。通常は錠剤などで摂取すると思います。

私は物質には何の力もないと思っています。マグネシウムと言えども物質ですので、それ自体には何の力もありません。しかし、物質にはエネルギーを呼び込む条件作りができます。無からエネルギーを呼び込む際の条件作りに、マグネシウムは非常に有効であると思っているのです。

私のマグネシウムの条件作りは簡単です。お店でいつでもいらしてくだされば、お飲み物として差し上げられます。それについてはまたまとめますので、お待ちください。

昔の医者が処方したマグネシウムはおそらく数グラムという量だったのでしょうが、私は物には力がないという立場ですので、実際には計測できない微量を独特の方法で飲み物にします。危険な物は一切使用していません。また、違法になるような飲み物ではなく、お茶としてお出しする類の単なる水です。しかし、その水には吸引力があるのです。何度も言いますが、医学的科学的根拠のある話しではありません。私が勝ってに、そう思っているだけです。ただし、自分は確信しています。

その水には、マグネシウムが発する電子が豊富に含まれていると思っているのです。(これも科学的な話しと多少異なります)意識から物が生じる際に、まず発生するのが電子だと思っているのですが、マグネシウム媒体の電子を元母と捉えます。

体調がよくない細胞類に元母である電子が触れると、シャキッと元に戻るイメージがあります。これは私の勝手なイメージです。元母なので、そこから作られたものは、すべて従うわけです。まるでトンチのようになってきますので省きますが、マグネシウム不足といいつつ、マグネシウムを大量に摂取する方向とは異なる方法でマグネシウム不足を解消するのです。

測定できるマグネシウムは入っていないが、マグネシウム電子は入っている、、、そんな状態でしょうか。それでマグネシウム不足を急速に賄えると、私は思っているのです。何度も言いますが、医学的、科学的話しではなく、私の考えに過ぎません。しかし、私の周辺では今、異常とも思えることが起こりつつあります。
もちろん良いことでです。

それについてはまたご紹介していきたいと思いますが、いずれにしても、私たちの今の生活、社会は不自然です。もう一度、命の来た道、、、海をそれぞれの体内に取り戻す必要があると思うのです。

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現代の総合ストレスに打ち勝つ道 2018年09月03日(月)

大変なストレス社会になっています。何がストレスなのか、、ではなく、総合的な形でのストレスが現代人を襲っています。

その中で一生を生きていくのですから、大変なことです。と言って、何が大変なのか、、、何がストレスなのか、、、と尋ねられても、これです、と一言で言えない場合が多いと思います。

本当にストレスにさらされ、ストレス耐久度を失うと、自分が何をどう悩んでいるのかも、どう感じているのかさえ分からなくなってしまうからです。

要するに、ストレスは正しい判断力を失わせるように働くからです。

なぜこのようなストレス社会ができてしまったのでしょう。ここでは原因を探ることはしませんが、ストレスに打ち勝つ道だけは、各自持っていた方が良い気がします。

まず、ストレスの種類ですが、哲学的形而上学的なものとして、生死観があると思います。現代では、人は物質でしかありませんので、肉体が死ねばすべてが終わりになるというのが常識となっています。そのため、生きている間に少しでも得したい、自分に有利に生きたい、、、と、がむしゃらになりがちです。

あの世があると思えば、生きているのも、旅のようなものとして捉えることができるでしょう。

生死観は個人にゆだねられていますので、人は死んだらおしまいか、人は死んでも死なないのか、、、は、ストレスの大きな分かれ道になります。多くの人は死んだらお仕舞いと思っていますので、ストレスにはどうしても弱くなりがちです。

次に社会の価値観について考えると、働くことが唯一の価値の方向性であることに気づきます。そして、年を追うごとに働くことが重視され、強制され、巧みな形で労働強制化が進んでいます。待遇が良いのはほんの一部の企業だけで、ほとんどの企業では、待遇悪化が見て取れます。

とくにこの数十年の待遇悪化は意図的で労働者に負担を強いるものが多く、労働者の奴隷化が進んでいます。

ある服飾メーカーのボスなど、年収100万円で良い、、というような発言も。まるでバカそのものです。バカなくせに自分を利口だと思っているのですから、どうにもなりません。下で働く人は本当に着の毒です。

時給で働く人も多くなっていますが、昔の時給と今の時給の中身はまったく違うのです。今から30年ほど前の時給内容は、ラジオを聞きながら、お菓子を誰かがもってきて、和気あいあいとやるような職場が沢山ありました。

そういう職場にストレスを感じる人も多かったのは事実でしょうが、働くことが楽だった点は今とまるで違っていました。今の時給一時間は本当にみっちり働かせられる、、、そんな印象です。

昔5人でやっていた仕事を今は2人でやる、、、、その分のストレスもかなり多くなっていると思います。

時給が安いのでどうしても長時間労働になります。個人の楽しみの時間はどんどん削られ、働くだけの人生になっていきます。

そしていつかは、体を壊します。栄養は不十分、食べ物は毒物のような塊、野菜も昔の野菜と違って新鮮に見えるが実は生きていない、、、栄養も不十分。

こうやって、色々なストレス例を上げていこうとおもいましたが、沢山あり過ぎて書ききれないです。

家の事、将来の事、進路のこと、夫婦仲のこと、家族関係のこと、心配はお金のことだけではありません。

ことに病気になったら悲しい事態が訪れます。とくに重病の癌などは、命の危険を抱き、人や家族を不安に陥れます。

なんでこんなに病気が多いのでしょう。癌などは異例の増え方が続いています。癌検診を広め、医療も進み、早期発見早期治療が良いと言って、政府や企業もそうした方針で協力しあっているのに、なんで癌が増えるのでしょう。わけがわかりません。

一方では、財政難で病院がなくなった町では、病人数が激減しているなど、世の中は分からないことだらけです。

まるで誰かが何かがわざと私たちの社会をストレス社会にしている、、、そんな気にもなってしまいます。もちろんそんなことは無いのでしょうが、人を不幸に陥れる、もし、いくつかのキーポイントがあるとしたら、、、と私は考えたのです。

さて、ここからが本題です。

これまでも言ってきましたように、今の私たちの社会、世界は、人の不幸が増大することで経済運営が発展するようになっています。

一生快適に住める家が安くできたら、住宅メーカーが儲かりません。年齢に合わせて増改築したり、あっちを修理、こっちを修理、家具も数年で捨てて新しいものに買い替える、、、そうした消費、ポンコツ化するものの方が業者にとっては何かと良いのです。ただし、自然は気の毒です。企業は儲かるけど、自然や踊らされる個人はいつになっても消費者でいなければならなくなり、厳しいです。

それでいて、いつも二流の物や品を購入するしかないのです。最大購入させてすぐに壊してまた買う、、、、企業は儲かりますし、その行き着いた先が戦争なのかもしれません。戦争は無数の家を壊し、その後、無数の家を構築できます。儲かるんですね。

ストレス社会にしておけば、人は無駄遣いしたくなります。生きてる証しや喜びを消費に置き換えてしまうからです。さらに見栄の心理を強化する広告があり、欲望を持たせ、消費に向かわせます。

ストレス社会は物や品を売るのに適しているのです。そこには、必ずそうなるための、キーポイントがあるはずです。

都市化は流行を作り、こうした生き方、生活の仕方が良い、、、という価値を押し付けます。都市化をすすめれば、そこに投資した人は確実に大きな利益を作れます。これが全国均一ですと、どこに投資してもうまみがありません。小投資で大きな利益を上げるには、都市化は非常に有利であり、実際にそうされてきたのだと思います。

また都市化自体で、そこに暮す人はストレスをこうむりやすくなるので、その意味でもオーケーなのです。ストレスが高じれば病気にもなるでしょう。

病気になれば、またそれを治さない治療でいれば、いくらでも儲かります。病院がそうしていると言っているのではありません。あくまで、ストレス社会が儲かる原理を説明しているのです。

生れて教育を受け、就職し、結婚して家を作り、子供を産む、、、このサイクルも今ではもう一般的でなくなりつつありますが、一応のこうした流れの中で、人にストレスを生じさせるためのキーポイントがあるはずです。

教育信仰 健康信仰 医学信仰 金銭信仰 物質信仰、、、ここら辺をうまく使えば、人をストレス社会に閉じ込めることができると思います。

いい学校を出なくちゃいい就職もできないよ。
病気になる前に検診を受けて安心したいね。
病気になったら一流の病院できちんと診てもらいたいね。
お金がなくちゃ生きていけないよね。
人は死んだらお仕舞いだから、生きてる間に楽しまなくちゃね。
何と言ってもやっぱり東京だよね。

このうち、ストレスを生じさせる最大のキーは何だと思いますか。私は健康だと思うのです。健康への理解と正しい認識がないと、私たちはいち早くストレス社会に飲み込まれることになるからです。

なので、ストレス社会の最大の功労者は健康に関した誤解であり、間違った健康信仰が今のストレス社会のキーポイントにあるはずです。

そのほかでは、潜在的に人を支配する音楽や音、周波数、はありますが、それを言い出すと、きっと訳が分からなくなると思いますので、生死観と共に今回は触れずにおきます。ただし間違った生死観と周波数支配は潜在的であり、最大のキーであることは間違いないと思います。

しかし、それにも劣らないキーが健康に関したことにあると思うのです。

もちろん、誰かが意図的に行っているなどとは思いませんし、自然な時の流れの中で生じてしまった悲劇であると思うのですが、、本当に人を健康にすることは難しいのでしょうか。もしかしたら、本当は簡単なのではないでしょうか。

もちろん、素人の考えですが、私は確信的にそう思ってしまうのです。

昔の医者の処方は何かというと、大げさに言うと薬はたった一つしかなかったのです。どんな病気にでも、そのたった一つの薬を処方するのが一般的だった時代があったのです。その薬とは何でしょうか。

答えは後でお話しするとして、その一つの薬で、大体の病気は治った、、、という証言を私は医者から聞いたことがあります。7割は治ったよ、と。7割、、大変な確率です。そのため、よくわからない症状にでも、処方する際には、最後にその薬を付け加えておいたとか。

しかもその薬には、副作用がまず無い、といいます。いくら飲んでも大丈夫なようなのです。

もしもの話しです。そんなよく効く薬があるとしたら、病気で儲けることはできなくなります。医療は儲からないことになってしまいます。

また、さらに悪魔的に、この世からその薬の成分に当たる栄養素を無くしていけば、大勢の人の体調を狂わせ、大勢の病人を作ることもできるはずです。

まさか、そんなことを考えた人や組織があるとは思いませんが、あくまで論理的な可能性の話しをしているのです。

7割の病気を治せる薬、、、ならば、その薬の成分をこの世から失くしていけば、誰でも病気にすることができると言っているだけです。そんなことをした人はいないでしょうが、現代が実際にそうなっていることは事実なのです。

それは必須栄養素ですが、著しく現代人に不足しています。カルシウムや鉄も重要ですが、それが不足したからと言って、たくさん摂取したら逆効果が出てきます。カルシウムを沢山とったのに、骨が弱くなってしまった、、、、貧血なので鉄をとったら、さらに悪くなった、、、という人が大勢います。なのに、カルシウムや鉄は不足しているので、、、、と情報は踊ります。もっと大事な栄養素についてはほとんど語られることはありません。

確実に日本人の不健康のキーになっているものがあるのです。その成分はまったく不足しているといいます。それが不足すると、色々な不調と病気が出てきます。戦後確実に増えている成人病のほとんどが関係していると思います。

それなのに、重要感が稀薄なのです。マスコミも言いません。昔の医者の唯一の処方箋だったのに、それが今では消えているのです。だからキーなのです。

その栄養素は鉱物であり、唯一、人間が体内に取り入れても問題を起こさない鉱物と言います。

病気を治すだけでなく、それは無数に存在し、そこから建材を作ることも、水素を取り出すことも簡単にできます。また、リチウム電池の数倍の能力を持ち、この鉱物で電池をつくれば、電池一個で家の電源を賄える夢もかなうでしょう。

要するに、悪い時代が終えた後、必ず、人が注目し、この鉱物による新たな文明を起こすことになる、それは「マグネシウム」なのです。

この世にあるもっとも安価な鉱物。海中に無限にあるマグネシウム。にがりがほとんどの病気を治した時代があったのです。人間が何百年ですべてが変わるわけがありません。昔治ったものは、今の人間にも効くはず。そこらへんは私のような素人が言える内容ではありませんので、あくまで歴史の中の出来事を紹介しているのですが、私の予言として、良い時代が訪れるなら、その文明の中心に、間違いなくマグネシウムがあるということは言っておきたかったのです。

そんな凄いものが、日本ではたった二つの研究所でしか研究されていません。キー隠し、、、、まだまだ悲しい時代は続いていますが、夜明け前が一番暗いのです。

マグネシウムに限らず、キー隠しは色々な場所で行われています。あなたに本当に必要なもの、あなたを本当に幸福に導いてくれるものを、決して恐怖や不安から選ばないこと。それが悪のシステムだからです。恐怖と不安、、、それが商売道具になってしまった悲しい時代を私たちは生きているのです。


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