愛の日記


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いわく言い難い世界とつながる生き方 2018年10月25日(木)

意識からしかエネルギーが来ない、、、というのは、これまでに何度となく語ってきました。また、私たちは肉体を持つものの、本当の自分は意識であるとも語ってきました。それはその通りですが、では、肉体とは何か、改めてとらえることも重要だと思います。

意識論から言うと、肉体の重要性は小さくなりがちな印象ですが、それは間違いです。肉体ほど重要なものはないのです。言っていることにつじつまが合わないように感じられるかもしれませんが、肉体は重要なのです。

肉体はエネルギーをあっちの世界から得て存在しているので、あっちの世界からのエネルギーが枯渇したら肉体は劣化しやがて滅びます。この流れ自体は普遍であり、肉体に限らず、すべての物質も同様です。

物質や肉体はあっちの無の世界からのエネルギーを得て存在しているということは、つながっているわけです。つながりの糸は何かというとそれは意識ですが、もっと平たく言えば、五感なのです。

人間には視覚、臭覚、触覚、味覚、聴覚の五感があります。犬になると聴覚が人間の何倍、臭覚にいたっては何千倍も利くようになります。植物の触覚はすごいらしいです。わずかな風の動き、流れを正確に捉え、光や音にもものすごいレベルで反応するらいしいのです。

このように人間に限らず、動物植物には、なんらかの五感に相当するものがあり、これを通して、生命はあっちの世界とつながっているとも言えます。

話しを人間の五感に戻しますが、私たちがご飯を食べる時、本当はあっちの世界とのつながりの可能性を秘めているのです。私たちが音を聞くとき、あっちの世界とのつながりの可能性を秘めているのです。触る時も臭覚を働かせるときも同様です。

では、すべての場合で人は五感を通してあっちとつながっているのか、、、となると、残念なことにそれは違います。つながる場合もあるし、つながらない場合もあるのです。

文化の重要性はそこにあります。繊細な文化は香りであれ視覚であれ聴覚であれ味覚であれ、すべてあっちの世界とのつながりを予感させるものです。

四季を愛でるとは、視覚で四季を感じ、味覚で四季を味わい、臭覚で四季の深さを知り、触覚で四季と戯れ、聴覚で四季と一体となる、そうした遊びです。

五感を通じてどこまでつながるかは、人それぞれです。浅い味覚にしか至らない人もいれば、深い味覚を察知する人もいる。味覚を通して、無の世界への糸をたぐる人も出てくる。すべての文化はそうやって発展してきたのです。

文化の大元にあるものは、あっちの世界の無以外ありません。こちらの世界の都合で解釈できる内容とは違うのです。

五感を通して、私たちはそうした無の世界とのつながりを体験できるようにできている。無こそが実体であり事実そのものなので、あるものを無いとは言えない。その絶対感覚が、研ぎ澄まされた五感にはあるのです。そのように人間はできている。動植物もおそらくそのようにできている。

つながるものが幽界であれば、いずれ私たちはエネルギーを失い、最終的には狂気に陥ることになる。虚構を事実と思えば、人も虚構に陥るためです。五感が無につながれば、無は実在なのでそういうことは起こらない。ただ高度なエネルギーが入ってくる。

なので、食べる時は、ゆっくりと、味わい、何かを感じ取るようにして食べる、、、それが文化なのです。見る時は、ゆっくりと見、表層にあるものにだまされずにその奥を見つめる、、、音を聞くときは、音がどのように出ているかを深いところで聞き取る、、音を見るという表現や、香りを聞くという表現がなぜあるのかも、奥にある無を見つめる深い文化であるからでしょう。

なので、無とつながる五感となれば、食は少なくてもエネルギーワークとなり、一瞬のしじまにこだます音ですべてを理解させ、香りを聞けば個の意識は飛んで自由になる。

無からしかエネルギーは来ないので、五感で味わうさらに奥の世界を探訪すれば、私たちの生き方はエネルギーワークとなっていくのです。
むさぼれば死が近づき、食の奥を味わえば、たった一口の料理が永遠の命を約束もしてくれるのです。文化の偉大さがここにあります。そしてつながったものは、言葉にすることはできず、いわく言い難いものとなってその人の宝になります。

説明できるものに真実はありません。知が彼岸へ行き着くことはないのです。

文化の秋の到来です。五感を通じて今年の秋、あなたは何に出会うでしょうか。いわく言い難い体験を共有できる人がいれば、それは人生最高の幸福ともなるでしょう。

チューナーで深い世界とつながる秋
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理性、思考はエネルギー不足がもたらす現象 2018年10月23日(火)

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理性と思考は同根で共にエネルギー不足が招く現象です。子供時代は元気で活気に満ちてエネルギー十分ですが、理性はあまり持ち合わせていません。

そんな中でも大人びた子供が時々あらわれ、人はなんで生きるのかしら、、、とか、生きる意味って何だろう、、、幸福って何?、、などと考える小中学生や子供がいます。

そうした子供は理性的のように見えますが、本当はエネルギー不足なのです。すでに幸福な子供が幸福って何とは考えません。人生とは、、、と考える時、人はすでに人生に行き詰っているのです。幸福って何、、、と考える時、すでに人は幸福でないのです。

子供に限らず、それは大人でも同じです。結婚した方がいいか、、それとも一人で暮らすべきか、、、、と、よくある悩みでもありますが、本当は悩みではないのです。どちらにもエネルギーが向かないということに他なりません。エネルギーがあれば、結婚する、仕事する、と、迷うことなく自身の道は見つかります。エネルギーがないから、考えてしまうのです。

将来、歌手になりたいのですが、それで本当に成功できるでしょうか、、、と中学生や高校生は考えたりします。エネルギーがあれば、それで成功できるでしょうか、、、などとは考えないのです。成功も失敗もなく、ただ好きな道に進んでいこうとします。

エネルギーがない時、人は悩み、考え、理性的になるのです。理性もエネルギー不足と片づけると反発は出るとは思いますが、理性も同様なのです。すべてはこっち側の人間界の問題であって、あっち側の無のエネルギーサイドとは異なる地点での話しなのです。

恐怖や悩みも同様です。パニック障害という病気ではないと私は思うのですが、一応、病名になっていますので、その面で話しをすすめますが、その治し方は、恐怖突入がベターなのです。怖い、、、パニックになりそう、、、心臓がドキドキしてきた、、、立っていられない感じになってくる、、、息が苦しい、、、色々な症状がパニック障害ではありますが、どれも思考ですので、それを体験に変えることで乗り越えられるのです。医者ではないので治る、、、という表現はできませんが、心の姿勢として、思考から離れ、体験としてパニックを受け止める、、、というアドバイスです。

思考から離れるなら、怖いも嘘、ドキドキも嘘、立っていられないも嘘となります。思考は言葉を求めますが、言葉に出した時点で理性に組み込まれます。

それではパニック障害は克服できません。思考を離れ、体験として受け入れる以外に私は無いと確信しています。

よくわからないけど、なんだか、凄い精神状態と症状があらわれているようだが、それを呼吸が苦しいとか、心臓がパクパクするとか、怖いとか名付けずにただ、黙って「うーん」とでも言って受け入れ、それと一体となる。観察する人とその解釈をすべて捨てて、ただ「うーん」の状態を受け入れる。

そうすれば、それは変わった体験となり、勝手に過ぎ去る。そんなこと言ったって、何度もそうなるんですよ、、、とか言う人がいると思うが、何度きても同じように体験すればいいのです。そのうち、慣れてしまってどうでもよくなっていく。

あれほど、何十年も苦しんだパニックが、いとも簡単に過ぎ去る。理性でなく体験として受け止めれば。

理性は苦しみ、考え、エネルギーを消耗させていきます。体験は受け入れれば、それがどんなものでも最終的には喜びになり、エネルギーの補充になります。

体験せずに、あえて、現象を名づけ、理性的に捉え、考えるから、人はエネルギーを失っていくのです。子供は疲れない。疲れたと思った瞬間に寝ています。体験重視で生きていて、理性に流されないためです。なのでエネルギッシュでいられるのです。

体調や病気に限らず、貧乏でも、ルックスが悪いでも、太ってる痩せているでも、背が低い高いでも、学歴があるないでも、すべて同じです。それらは共通して思考なのです。共通して理性なのです。そこにエネルギーはありません。

貧乏と言われる状態でも、それを貧乏と名付けなければ、何も不利は起こらない。子供などはどんなお金持ちの子供でもみんな貧乏です。しかし、貧乏と名付けないので、そうしたカテゴリーから自由でいられる。
名付けることで、理性と思考に組み込まれ、私たちからエネルギーを奪っていくものとなるのです。

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明治150年にあたり、偉い人たちは大政奉還を 2018年10月10日(水)

私が生まれ育った町には、三菱自動車があり、その前には勝海州と西郷隆盛の会見を記念する石碑がありました。おそらく今もあると思います。

その場所は田町駅のすぐ近くの国道沿いですが、両者はそこで江戸城無血開城をまとめました。これにより、江戸城は無事に明け渡され、大政奉還が成就したことになります。

あれから150年。今、再び偉い人たちの大政奉還が必要だと思います。

まず、家やビルや町や道路を作ることは、国家の根幹にかかわる大事業ですので、当然、大手の建設業界を中心にして、その下にくる無数の土建屋さんたちの会社がつらなります。景気活性化と言えば、そうしたところにお金をつぎ込むことが政府の景気活性化対策でした。

お陰様で、私たちの町や村には縦横に道が通り、大変便利になりました。社会インフラ面からみても、日本の道路はきれいでよく整備が行き届いています。グループ企業や仲間内だけで利益を守った面はありますが、今の日本がきれいに整備されたことは、そうした政策と企業のお陰です。

しかし、考えてもらいたいのですが、これからもまだ同じやり方で道をつくり、ビルを建て、新幹線を縦横に走らせても、そんなには、もう儲からなくなってはいないでしょうか。税金がこうした事業に当てられるわけですから、大手企業にとっては良いかもしれませんが、それでも利益は出にくくなっているはずです。その証拠と言っては悪いかもしれませんが、オリンピックなどの名目を使って、ここぞとばかりお金を浪費する。

昔のようにあまり大きな儲け口がないので、オリンピックにすがったりすることになるわけです。

そこでどうでしょう。もうビルも道も新幹線もオリンピックも限界に近づいていますし、国民の目線からみても、もういい加減にしろよ、、、の声が増大してきています。何より、公害の問題や自然破壊、資源の限界もあるわけですので、これ以上の道づくりやビルづくりや新幹線を作ってもあまり意味はありませんし、国民の同意も得られにくくなっていきます。
いっそのこと、道路行政や建築の大企業には、この際大政奉還をしていただき、これまでと真逆の政策に変更したらどうでしょう。

これまでは、荒野に道を通し、鉄道を敷き、駅を作り、町をつくり、家や工場を作って儲けてきましたが、今度は、それらをまた元の自然に戻し、美しい国や地球に戻していく。これまでの150年の作っては儲け、自然を壊してまで作って儲けてきましたところを、今度は反対に自然を復活させて儲けて欲しいのです。

そうすれば、無尽蔵の仕事が待っていますし、嘘のように儲けられます。しかも国民は皆手を叩いて喜びます。大政奉還した偉い人の邸宅の前を、子供たちはお辞儀して通るようになるかもしれません。

これ以上、自然と大地を壊して儲けるのには反対だが、自然をまた復活させることで儲けるなら、それは尊敬される企業になることを意味します。大政奉還です。真逆で行き、しかも尊敬までされる。

人を不幸にして儲けるよりも、人を幸福にさせて儲ける方が、伸びしろがずっと大きい時代に入ったのです。大政奉還を急いで欲しいと思います。

次の偉い人と言えば、やはり製薬会社や医療機関がそれにあたるでしょう。お陰様で、手術の技術は神業にまで達し、昔なら死んでいた人を助けたり、生き返らせることもできるようになりました。素晴らしい薬が劇的に効いて、人々の体の痛みを立ちどころに取り去り、しかも保険制度のおかげもあって、比較的安い金額で病院に行くことができるようになりました。

この150年の間に果たした、製薬会社、医療関係企業などの働きは本当に特筆できるものがありました。しかし、薬や医療の弊害も大きなものになりつつあり、すぐに病気で死ぬ人は少なくなったものの、多くの半病人を作っている現状は、無視できなくなっています。

巨大な組織を維持するために、このままいけば人を助けるよりも、人を病気にさせた方が儲かるというおかしな方向にいかないとも限りません。人を助ける薬や医療が、人を苦しめる方向に行く前に、大政奉還が必要なのです。

大手製薬会社のトップ、医療行政のトップ、それにかかわるあらゆる偉い人たちが、態度を改めて大政奉還をした際には、国は最高のもてなしを持ってそれら偉い人を迎え、保護し、国民からもあがめられるようにしたらどうでしょう。医療の闇、製薬の闇を追求するよりも、大政奉還した偉い人は、民族の英雄として列挙し、その功績をたたえる、、、彼らはすでに大変な金持ちですので、それらの保全も約束し、問題のある医薬一切の大政奉還を行う。それによって、国民はたちどころに健康で長生きになることでしょう。

国民の健康と長生きの最大の貢献者として、教科書にも載ってもらう。そうなれば、医療や製薬によって殺された幾多の無念の魂もやっと安らぐことができる。また国民から本気で尊敬されるようになり、決して悪い話しではないと思います。お金などは腐るほど彼らにはあるのですから、あとは、本物の名誉と尊敬が必要なはず。大政奉還して誰一人、損する人などいないのです。これをやりましょう。

同様に、食事行政においても、大政奉還が必要でしょう。とくに戦後の食にかかわる変化は激しいものがありました。西洋の食事が入ってきたお陰で、私たちの体も本当に立派になりました。昔ならすぐに腐ってしまったものも、今では腐らずに食べることができ、本当に便利になりました。

しかし、便利になったのは素晴らしいことですが、便利が優先しすぎて、ついつい体に悪い影響を与える添加物などが多くなっており、その弊害の方がややもすると大きくなりつつあります。

ここは思い切って、食にかかわる偉い人たちに大政奉還をお願いしたいのです。人に健康な食を与えることに、国は率先して融資し、貢献度によって多額の補助やお礼を出す。食にかかわる企業は、人を健康にさせればさせるほど、国からもお金がもらえ、何より、国民がこぞってそうした食や食品を選ぶことになり儲かる。

大政奉還した食にかかわる偉い人たちは、民や子供たちの健康と成長を守る偉大な母、と呼ばれるようになり、赤ちゃんや子供を持つ母たちは、大政奉還した偉い人の邸宅の前に立ち止まり、祈って行くようになるかもしれません。

心ない食によって死地に追いやられた幾多の魂も、その姿を見て涙を流し、歴史の流れを喜ぶことでしょう。

教育機関でも、法曹界でも、マスコミでも、同様の大政奉還が起こり、かつての8月15日をもって軍国日本が終えたように、人を不幸にして儲けるあらゆるシステムは停止し、大政奉還によって、今度は人を幸福にし、健康にさせ、喜びおおいものにすることで、これまでの150年間よりいっそう儲けられる世の中を上の人は作ればいい。そうすれば、官僚も喜んで働き、国民は喝采する。そのためにはあらゆるところでの大政奉還が必要です。儲け話しでもあるのですから、できないわけがないのです。目先の近欲に目がくらんでいるからわからないだけで、よく考えれば、もっと大きく儲かるし、喜びが広がるのです。

人を不幸にして儲けるところを、幸福にして儲ける方向に変えるだけ。不安しか見ようとしないバカが現状にしがみつきさえしなければ、簡単にできることなのです。

では、現代の勝海舟と西郷隆盛は誰か、、、どなたか心ある偉い人に、ひと肌抜いていただく以外にない。その日が近づいていると思います。


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重力から自由になる 2018年10月08日(月)

 あらゆる問題はエネルギー不足から生じるわけですが、別の言い方をすれば、あらゆる問題は重力につかまることから生じる、とも言えます。

重力から自由になれれば、私たちの生活も人生も生き方も変わります。

子供時代は比較的私たちは重力から自由で、自分の体重を感じることはあまりありませんでした。家の中でも野原を駆け回る際でも、自身の体が重たいと感じることは少なかったはずです。それが加齢と共に、立ち上がる時など「よいしょ」と掛け声をかけるようになり、重力の負担が大きくなっていきます。

しかしそんな老人でも、大好きな孫が遊びに来た時などは、孫を抱きかかえ、孫の体重をつらく感じることはありません。

またいくつになった人でも、飛び切りの嬉しいことや喜びがあった際には、体の重さを感じなくなって、元気に飛び跳ねたりします。

筋肉の衰えや体力の衰えだけではない重力の法則が働いているかのようです。

これらから言えることは、まず、物質や肉体は時間の経過と共に、重力につかまりやすくなると思います。しかし、そんな場合でも、嬉しいことや喜びがあると、その時だけは体の重さが消えていくわけです。

物理的な意味での重さがすべてではなく、重さや重力は人の気持ちや意識と深い関係にあることがわかります。

加齢により自分の体が重たく感じられるようになるのは、時間が重力に捕まるため、過去という概念が生じるからでしょう。時間が重力に捕まらなければ、おそらく過去というものは存在しないと思います。私たちが思う過去も未来も幻想なのかもしれません。

体を加齢と共に重たく感じるようになるのも、若い頃の体の軽さ=過去との対比であり、自身を物質的であると思うほど自身を重く感じていきます。老人になるほど「よっこらしょ」状態が増えるのは、自分が物質であるとの思いこみがそれだけ大きくなるためです。
しかし、私たちは体よりも意識が大元にありますので、自身が意識であるとの状況に至れば、あっという間にその時、老人の体重は軽くなっているわけです。

こう考えていくと、あらゆる問題の解決には重力から自由になることがあげられると思います。

重力が拮抗すれば無重力になりますが、その原理を肉体組織は巧みに取り入れているため、体重がないかのように動物や私たちは体を動かすことができます。

さらに、自分が意識であると思えば、体重は軽さを増していきます。私は意識である、、、と思って椅子から立ち上がれば、比較的楽に立つことができますが、自分は肉体であると思って立ちあがろうとすれば、重く感じるることになります。

重力から自由になることがすべてのカギを握っていると言っても良いでしょう。

まずは、自分が意識であるとの認識。次に血流が体重の認知度に非常に大きく影響を与えます。血の状態、そして血流の状態です。

地球では海流と川の流れがそれにあたります。地球の血液は水です。水のエネルギーが不足し、海流に力がなくなるとあっという間に寒冷化が始まりもするでしょう。

意識が大元であり、次に人は血、地球は水。血流が良くなれば、体は軽くなります。重力からかなり自由になる方法がありますので、また改めてお話しさせてください。

 
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たちどころに元気になる方法 2018年10月02日(火)

 元気であるか元気でないかは、その人の生命エネルギーが豊富かどうかで決まります。

人がたちどころに元気になる方法があれば、それは大変有望なことですし、必要なことです。実は簡単な方法があるにはあるのです。私もそのセミナーをどうしても開きたくて企画したことはあるのですが、その都度スタッフの反対にあって実現しませんでした。

反対されるには反対される理由があるのです。色々な誤解を生むためです。とくに性に関したことになると、興味本位やひやかし、無理解がどうしても出てくるため、素直に性に関したことはオープンにできない面があります。

国家などにとっては、性の規制が民心掌握の基本にあり、どの権力も性を自分らが管理できる位置に置いておくことが重要でした。民意で性が自由が横行してしまうと、権力を維持できない仕組みがあるのです。明治政府の最初にやったことも混浴禁止令の徹底でした。

人の自由をしばるのが権力ですから、性はその際、筆頭に挙げられる監視すべき事柄なのです。なので、強圧的な組織や強圧的な家庭や国家においては、性の監視が重要なテーマになってきます。国民が性について自由な印象を持つことを抑圧し、性について自由に話したり関心を抱くことを敬遠させるムードを醸成したいのが権力者なのです。家でも国家でも。

そして性はいかがわしくて、暴力やポルノなど、問題あるものだという位置づけを作ります。国家や権威は性がそう扱われた方が本当は有利なのです。表向きの規制は行いますが、そうやって危ないものだと思わせて、性と人間を切り離したいのです。

民衆の精神的で高度な喜びと性の自然な喜びを、ゆがめた方向にもっていくことは、権威者の本心で願っていることだと思います。そうでないと支配できないためです。

さて、そんなどうでもよいことはこれくらいにして、では、どうすればたちどころに人は元気になるのか、、、の本題に入ります。性と関係するためについ前置きが長くなりました。

フロイトはエネルギーを取り込む簡単な方法として、いやらしい絵画を飾っておくこと、、、と言っています。写真じゃダメなんです。絵画でないといけません。

男性にとっては女性の裸の、しかもその男性が非常にいやらしく感じる絵画でないとダメです。女性にとってはこうしたことのハードルは高いと思いますが、それでもいやらしく、凄く刺激されるような絵画を探してみることです。

ただほとんどの人がここで断念してしまうことでしょう。しかし、実際にやってみればきっとわかると思います。何となく、元気になっていく自分に気づくからです。

フロイトの言うことは本当なのです。もっとも抑制されている本当の衝動、それをフロイトはリビドーと言いましたが、人は喜びがなくては生きたしかばねです。人を生きたしかばねにしない、最高のものがリビドーであり、人はそれを求めて生きています。なので、そこを抑圧されたら、人は人として、自分らしく生きることは不可能なのです。

それを得るもっとも簡単な方法がいやらしい絵を見ることだというのです。さすがフロイトです。あのひげの気難しそうなフロイトが、いやらしい絵画に見入っていたと思うと、けっこう楽しいですね。しかし多くの人はそうは思わないのです。まさか、、、あんな立派な紳士が、、、と。こうして権力は性の圧力政策を浸透させる形で近代化を行ってきたわけです。

私たちの健康はケミカルによっておとしめられ、私たちの食は添加物などでおとしめられ、私たちの性の喜びも、本来はまったく関係のないポルノなどで間違った方向におとしめられています。近代化とは、人の喜びをことごとく奪う政策だったわけです。

さて、フロイトはいやらしい絵画でのエネルギー補給の可能性に言及しましたが、私が考えた方法はさらに効果的だと自負したい思いです。

あっという間にエネルギーが体中に充ち、楽しくて仕方なくなってきます。(ただし拒否反応を示す人はどうしてもいるにはいると思いますが)

その方法を伝授します。セミナーは反対でできないので、その方法を伝授することで、あとは個々人にお任せしようと思います。

いやらしいストーリーを考えて文章にすること。

その際に、テーマを決めることが大切です。やみくもにいやらしい話しを書けと言ってもかけるものではありませんので、テーマをその都度決めるのです。例えば、星の王子様は、色々な星を旅しますが、その星はみんないやらしい星だと決めておくのです。

星の王子様は決していやらしい王子様ではないので、その王子様が見たことによる面白さは奇想天外に達します。また、王子様を通すことで、不思議な客観性というか、危ないことも公平に語れる安心感のようなものが出てきます。ストーリーの中で、自分が何もいやらしい存在になる必要はないのです。客観的に人物を作り、その人が見たいやらしい世界を書くこと。

以上、ルールは二つです。

① なんらかのテーマ性を持たせる。
② 自分ではなく、客観的な主人公が中立の立場で見たいやらしい世界を描く

以上です。例として星の王子様は上記の条件を満たしています。王子様は性のことをよく知らない存在なので、見たことをただ正直に語れるわけです。ということは、どんなことでも偏見なく語り知らせることができるわけで、こちらも王子様という人格を通すことで、最も深いいやらしさに到達できることになります。

① のテーマ性は、遊園地でもいいし、色々な家庭を覗き見る透明人間でもいいし、日頃の生活環境の中から自由に考えてください。通勤でも通学でもいいし、学校や会社の行事などを取り上げ、一番いやらしいことで展開すればいいわけです。どんな遊園地が一番いやらしいのか、、、どんな通勤電車が一番いやらしいか、、どんな運動会が、、、というように。

私がやりたかった幻のセミナーは、星の王子様になってもらい、色々ないやらしい星をめぐるというもの。一話が書けたら名前が分からないようにして物語を集め、誰が書いたか分からないまま、それを発表します。

第二話、第三話、、、と進むうちに、異様な自由感覚が芽生え、参加者はあっという間に元気になるという想定です。いやらしい話しを集団ですると、必ず、皆元気になります。これは体験ある人ならわかると思います。その高度な方法がこうした文章化したものを皆で書き、それを読み合う会というわけです。もちろん一人でもできます。

性とはデリケートで複雑で個別性そのものの世界です。なので秘められた形でいることが自然ですが、現代ではゆがめられた性のまま閉じ込められてしまっていますので、そこを多少でも解放されるなら、とても気持ちが自由になると思います。

元気のない人は、必ず性を閉じ込めています。これを解放させることで元気になるのは、もっとも早く人が元気になる方法でもあります。

フロイトが提唱する絵画という方法でもよいし、私が言う、ストーリー方法も良いと思います。ストーリー方法は、文章力が無い人でもまったく自由に書けるはずです。リアリティがあるからです。文章に限らず、リアリティに触れれば、人は自由で元気になっていくのです。夜寝る前に一話づついやらしい話しを展開していけば、気持ち良く眠りにつけると思います。

バカらしいと思う気持ちは当然ですが、それでも実際にやっていくと、あっという間に元気になっている自分に気づくはずです。私たちは自分が考えている自分と異なる面が本当はたくさんあるのです。その可能性に蓋をしてしまう日々の暮らしが、私たちをいつしか元気ない存在にしているのです。そのことに気づく意味でも、こうしたバカげた取組みは必要なのです。
 





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