愛の日記


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2017/11/18
頭も空っぽ、、体もからっぽ、、

2017/11/15
個と場

2017/11/1
あるものにしか出会えない

2017/10/25
無から有が生じ無は無限を包含する

2017/10/24
勝ったように見えて負け、負けたように見えて勝つ時代



頭も空っぽ、、体もからっぽ、、 2017年11月18日(土)

空っぽというと聞こえは悪いですが、エネルギーが入るということなんです。

フリーエネルギーは無が入口になるということは何度も語らせてもらっていましたが、空っぽは無、、、空っぽでなくてはエネルギーは入りません。

頭でっかち、、、論理好き、、、思惟こそすべてとの誤解、、理論も思惟も大切なものですが、エネルギーはそこからは入りません。

常に捨てる、、常に捨てる、、、感情も思惟も思いも常に捨てながら生きる、、、

すると元気になってきます。

元気でないのは、常に頭で何かが動いているからです。

外界と私達が触れるとき、私達は必ず、外界に反応します。反応は自然ですが、反応の中に執着やこだわりが生じると、頭はそのことでいっぱいになります。

空っぽになりません。なので、疲れます、エネルギーが入らないからです。空っぽでないと入らないからです。

では、空っぽになろう、、、と思った際に、何が大事でしょうか。それは、頭に入っていると、わかることです。今現在、私はこうしたことにとらわれて、頭の中をこうした思いが占有していると、わからなくてはなりません。

それが分かるのは、意識の働きです。自身を意識する目がないと、何が自身の中を占有しているかはわかりません。

無意識に占有されていることが多すぎる人間。なので、疲れます。

エネルギー不足で疲れるわけです。

ああ、今、自分はこうしたこだわりを持った、、、ハイ捨てる、、今、こうした思いが不安となってきている、、、ハイ捨てる、、

常に自身が意識されていれば、何が自分の中を占有しているかがわかり、すぐにそれをストップさせ、無効化することが比較的簡単にできるようになります。

要するに、常に体も心も頭も空っぽにしておくことが大事なのです。これが、最終のエネルギーワークと言ってもいいでしょう。

無からしかエネルギーはやってきません。無にすることです。それには自身を意識的に見つめている必要があります。わかったらそれを手放すことは簡単です。

これがエネルギーワークであり、本当のエネルギーを得る方法でもあります。

これを突き詰めると、凄いことになると思います。起こっている現象には、何ひとつ意味がないことになるからです。

受け止めたことを常に捨てていくのですから、瞬間とそこに付帯する時間を味わうだけで、あとは捨てるのみ。

結局、どんな体験でも、価値あるとか、価値ないとかを超えて行ってしまうわけです。

すべては捨てるもの、、、なので、何を体験しても、体験した喜びだけで、それも捨てますから、結局は、もう生まれ変わる必要もなくなるはずなのです。

捨てれば、輪廻があるとしても、それを乗り越える方法になります。これしかないわけです。

瞬間を体験したら、あとは捨てる、、、捨てれば、無と私は一体となる、、、無からしかエネルギーはやってこない、、、大元の無と一体となることが、捨てる、、、空っぽ、、、ということになります。

と言っても、原理がわかっているだけで私もまだまだよくわかりませんが、原理は明快にわかります。これ以外にないはずです。

早く、色々な宗教は遠回りなどせずに、これを言ってくれればよかったのに、、、とつい思ってしまう。

無になること以外、エネルギーは入らないし、無になること以外、この世の現象の意味を理解することはできない。

あの人嫌い、、、あのひといや、、、、不愉快、、、頭をそうした思いが閉めたら、長引かせないで、捨てる、、、ただそれだけのこと。

そのためには、あの人嫌い、、、と思ってこだわっている自分を意識できなくては不可能。意識的に自身を見ることで、何にこだわって止めているかがわかります。そうしたら、次は選択の問題ですので、捨てるを選べば良いだけなのです。

それで、この世のあらゆることから私達は自由になれ、救われるわけです。簡単な原理なのです。

皆さんも今から実践してください。エネルギーが満ちてくるはずです。寝て無になることでかろうじてエネルギーを得ている私達ですが、生きることで、無となって生きることで、数倍のエネルギーを得られることになります。

そして、人が生きる本質の意味も理解できる可能性が出てきます。


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個と場 2017年11月15日(水)

私たちを取り囲む場所と、個人の意思や個人の思いとでは、基本的にどちらが強く影響されるかと考えた時、答えは場にあると思います。

仲間と楽しく語らう、平安で豊かな場に、一人でも批判的でおっかない感じの人が来たら、それまでの楽しい豊かな雰囲気はなくなります。個々の中にある思いはやさしさや思いやりにたとえ満ちていたとしても、その場では場の雰囲気が優先されてしまうわけです。

豊かでやさしく思いやりに満ちたものは、繊細で押しつけがありません。反対に批判的で暴力的なものは、一方的で他のものを押しやってしまいます。

戦争が近づけば、軍歌が町に流れ、平和の思いを圧倒するような雰囲気になっていくことは、日本でもドイツでも戦前に体験した通りです。今の日本も何となくそんな雰囲気に近づいている気もしますが、昔と今とでは個々の思いが違い過ぎるので、戦争など起こせませんし、万が一起こしたとしても、一体、誰が戦うのか、好戦派としても非常に心もとない状況でしょう。

ともあれ、その場に占める力は、豊かさや平安よりも、強圧的なものが強いことは事実です。

家庭内で父母が強圧的であれば、その家庭は強圧的な場を作りますので、そこに居る人は誰一人、平安でも豊かでもなく、基本的に怯えています。

子が成長する家庭という場で、怯えながら育った人と、平安で豊かで、やさしさの中で育った人とでは、天地の差があって当然なのです。

このように場は個よりも優先する性格があります。なので、良い場で育ったり、良い場の中に居られることは、本当の意味での幸福とつながりやすくなります。

なので、私たちの生きる本当の目的は、端的に言えば、良い場をつくることにほかなりません。

それぞれがそれぞれの場でどのように振る舞い、その振る舞いからもたらされるものは、平安なのかそれとも暴力なのか、、、それに尽きるわけです。

何も理想論で言っているわけではありません。また、幸福に至る色々な要素の中で、たったひとつだけ場の重要性を取り上げることに違和感を覚える人もいることでしょう。

行動で平和運動をしている人もいますし、戦争の悲惨さを訴えかける運動をしている人もいます。それは大変意味ある行動であることは事実です。私が言いたいのは、そういうことではなく、あくまで場の重要性であり、こうした平和思想も反対運動も、それを受け入れる場がない限り実現しないという点です。

まず場なのです。実はフリーエネルギーの法則がそれです。場の重要性なくしてフリーエネルギーは訪れません。スタップ細胞の実験でも成功する場合と失敗する場合があるのは、行っている内容やプロセスにその原因があるのではなく、作られる場に違いがあるからなのです。

場。その場を作る人に原因があるのです。荒れた意識の人には好い場は作れないのです。

荒れた意識、良くない思い、暴力的な発想などは、すべて個の悲観的な一方性から来るもので、全体と切り離されたところにあります。暴力的な発想には、お互いという概念がないのです。全体と切り離された個を押し出すだけ。

周辺の場を支配することで勝ったと思うのは、孤独ということです。

話しが再び精神論に流れていくので戻しますが、場とエネルギーの関係なくしてフリーエネルギーは語れません。

それを一言で言うと、重力につかまっているか、重力から自由になっているかで決まります。

重力の影響が少なくなるほど、フリーエネルギー現象は訪れるのです。場をいかに軽くするか、いかに無に近づけるか、、、、

私は子供のころから、女性の自然な集まりの中にいることに、独特の快適さを感じていました。一人はさやえんどうの皮をむき、一人は裁縫をしており、一人は隅で本を読んでいる、、、真中には果物やお芋などが置いてあり、時折お茶を飲みながら、それぞれがそれぞれの作業をしている、、、、お芋を取って宿題をしている子にあげている母や叔母、、、

何が話しの主題かもわからない会話の中には、ただただ自然さがあふれている、、、

私の子供時代にはそんな記憶がいっぱいありましたが、それこそがフリーエネルギーの原点である場であったのです。

強圧的なものが支配する場は、周辺場をつくるには強烈ですが、本当の力はありません。

なので、軍事による一方的な方向性は絶対ではなく、絶対でないどころかエネルギー本質から決定的にずれますので、実際には誰一人幸福にしません。

それで儲ける武器産業に携わる人ですら、結果的に不幸に落とし込むでしょう。誰一人幸福にしないのです。眼の前しかわからないからそんなことを平気でしてしまうのです。

フリーエネルギーは反重力に近い、重力から自由になれた時に訪れるものであり、場を強圧的に収めているところでは、あるものだけの限定的な世界であり、それ自体の持つエネルギーを亡くした時点で終わってしまいます。

空気で膨らんだ風船の口を開けるようなもので、すぐにエネルギーは枯渇してしまいます。

皆さんは私の考えを甘いと取られるかもしれませんが、事実だから仕方ありません。

皆さんが元気で生きていられるのは、強圧的な場の中で安泰を得ているからではなく、皆さんは忘れているかもしれない、皆さんはどこかで体験した安らかな場の思いによって、実は生かされているのです。

命を生かし、はぐくむものは、場にあります。場がなければ、エネルギーは訪れません。

そして、場を作る責任はすべての個にゆだねられているのです。そこをエネルギー空間にするのも、苦しい放出空間にするのも、あなた次第という選択の自由の中で私たちは生きているのです。

今の悲しい場の時代に、ある讃美歌を思い出しましたので、その歌詞を下記します。うろ覚えなので、もしかしたら間違っているかもしれませんが、おおまか、内容はあっていると思います。(讃美歌228番)

ガリラヤの風 かおるあたり あまつ御国は近づけりと  のたまいてより いく千歳ぞ
来たらせたまえ 主よ御国を

戦いの日に いこいの夜に 御国をしたう熱き祈り 捧げられしはいく千度(ちたび)ぞ
来たらせたまえ 主よ御国を

憎み争い 後を絶ちて 愛と平和は四方にあふれ みむねのなるは いづれの日ぞ
来たらせたまえ 主よ御国を


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あるものにしか出会えない 2017年11月01日(水)

赤ちゃんは自我がまだ発展していませんので、周りで起こる出来事をそのまま純に見つめます。

あのおじさんがずるい、、、とか、あの人は悪だくみをしているとか、あの人は嘘ばかりつく、、、とかは、わかりません。

それは赤ちゃんの中に、ずるさや悪だくみや嘘がないから、わからないのです。

自分の中にあるものしか、人は認識できないからです。

大人はあの人は良くない人、、、などと思ったりすることがありますが、良くない部分が自分の中にあるからそれがわかるわけです。

物事の良い面に気づいたり、そこに価値を置くことができるのも同じ道理です。自分の中に、物事を良くとらえる面があるから、外界を好意的に捉えることができます。

良い場合も悪い場合も、自分の中にあるものを人は見ていることになります。

自分の中にあるものだけを見ている、、、ということは、すなわち、私たちは外界を見ているように見えて、実は自分自身を見ていることになります。

そしてそれは事実なのです。この世の本質は、自他がないからで、すべてが1つという証明になっています。

自分の中にあるものしか認知できない、、、自分は外界と同じであい、外界は自分なのだ、、、すなわちひとつ。

論理的にもそうなるのです。これが事実ですから、自分と外界をわけていくと、いけばいくほど矛盾が大きく広がることになります。

そして幸福とは、自他が1つである観点から物ごとを捉え、そう意識することによってもたらされるプレゼントを得た時、人はそう思うのです。

意識は決して低い方に戻ることはありませんので、一度でも自他のないところから来る幸福を体験したら、人生の意味がわかるのです。

他のことに意味はありません。だから、人は赤ちゃんから始まるのです。

自他のない赤ちゃんからせっかく始まったのに、どんどん自他を分け、どんどん苦しくなって神に文句を言っている私たち。

私たちは常に自分の中にあるものにしか出会えないのです。出会っても自分の中にあるものしか認識できないためです。

なので外界は常に自分なのです。外界を傷つけることは自分を傷つける道理であり、外界を替えたければ、その見方、意識を変える以外にありません。

まず、外界を受け入れること。それは自身を受け入れることになるためです。

悪い人がいました、、、悪い人から逃げることは必要ですが、せめてことさら嫌う必要もないのです。

出会う事象、出会う人、、そこに見たものは、自分なのです。なのでそれを意識の上で受け入れてあげれば、自分を受け入れたわけです。なので、そこに問題があれば終わり、中の問題が終われば、外界も見事に変わります。

外を変えようとするのではなく、中を変えない限り、外界は変わらない、これも道理なわけです。

と言って、イヤな人を受け入れろとか、ずるい人の相手をしろ、、、と言っているのではないので、絶対に誤解しないでください。

変な人からは逃げた方が良いのです。逃げなくてはダメです。しかし、そうした人が教えてくれることは、自身の中にあるものに追いかけられているということなのです。

なので、実際のイヤな人を心理的には受け入れてあげることで、物理的にもいやな人から遠ざかれることになります。

心理的に受け入れてあげなければ、ずっと追いかけられることになります。

自身の中にある成長しきっていないみなしごが、どうにかしてくれと、救いを求めている状態が、イヤは人やイヤなこと柄に追いかけられる現象となって表れているわけです。

認めてあげれば、その存在を許してあげれば、追いかける必要はなくなります。

この世に嫌いな人がいなくなれば、どんな人が目の前に現れても、それが自身の一部であるとの認識に立てば、段々とイヤなものに邪魔されたり、破壊されることは少なくなっていきます。

誰にも好き嫌いはあって当然ですが、自分への好き嫌いが外界に表れているわけです。

すべてはひとつ、、、赤ちゃんや自然から私たちは学ぶことができるのです。

下記の動画は、縮まる筋肉や組織に対して、ほぼゼロとなる地点を作り、エネルギーを取り込む動作です。

踊りのようになりますが、それは、踊りというよりもエネルギーワークです。エネルギーはゼロポイントからしか入りません。

縮もうとする筋肉や組織に対して、同等の負荷をかけ、あえて意識的にゼロポイントを体の至る処に作っていきます。

するとエネルギーが瞬時にして体に入るので、短い時間で極めて高度のエネルギーを取り込むことが可能です。

体は柔らかくなり、動きも樂になるので、老人にも無理なくできますが、形にこだわると動きのない教条的な死の世界にはいるため、体を壊します。

ヨガも同様で、本当は動きのゼロポイントを作るのが目的であり、体の色々な部位にゼロポイントを作ることがああしたポーズになったものなのかもしれません。

しかし、ポーズ主体になると、それが目的化し、必要以上に負荷をかけるので、かなりの危険が伴うと思います。

体を壊す可能性がヨガに限らず、運動にはあるのです。ゼロポイントを作るのが、運動の目的であり、そのことが、宇宙と一体化となり、そこからエネルギーが入る、、、

宇宙と自分が一体となる動きと感受性は、ゼロポイントにあると思います。

この動きには同じものはなく、その時々に応じた必然的な動きを意識的に追うものが、ゼロポイント舞踏です。

神々の踊りの動きをゼロポイントという観点から見ると、深く理解できると思います。

この動画は稚拙ですが、みなさんがおやりになれば、きっと素晴らしいゼロポイントを探る動きとなるはずで、それは最高の芸術にすら感じられることでしょう。ぜひやってください。

下のURLをコピーして、検索に張り付けてご覧ください。

ふるべ舞踏編1
https://youtu.be/S8c8i3tnnPk

ふるべ舞踏編2
https://youtu.be/sTWAJ4Z1y28


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