愛の日記


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二人の文学者に見る月との葛藤 ②寺山修司氏 2019年01月15日(火)

二人の文学者に見る月との葛藤 ②寺山修司氏 1935年12月10日生まれ(月はふたご座)

文学者と月との関係についての二人目の考察は、寺山修司氏、寺山氏の月はふたご座です。

私は学生時代に寺山修司氏の大ファンで、渋谷の並木橋というところにある天井桟敷の前を通って、毎週渋谷の場外馬券売り場に通っていました。天井桟敷の前を通ると色々な恰好をした男女がおり、それを見るのが楽しかったことを思い出します。

寺山氏の作品は不思議なレパートリーに満ちており、その中でも、ドイツのケストナーに似た作品群がありました。あまり知られていませんが、その中に「さよならの城」という詩集があって、私は大きな影響を受けました。

自分も文章を書きたい、、、と思うようになったのも、寺山氏の「さよならの城」に影響を受けたからです。内容は少女詩集のようなもので、おとぎ話しのようでしかも幻想的な作風の詩。私はそれに魅せられ、似たような詩を大学生時代にたくさんつくりました。

寺山修司氏は、中学時代から俳句や詩、童話を書き続け、学校新聞に投稿したりしながら段々と評価され、文学者の目にまで留まるようになっていきます。

早稲田大学の国文学部に入った氏は、たちまち頭角を表します。その頃の代表作「父還せ」は大変な評判をとり、華々しく寺山修司は文壇にデビューすることになります。

彼の出生時の月はふたご座にあり、本来は、書いたり語ったりすることには才能が無い、はずです。あっても真似事を抜けられないと考えるわけですが、寺山氏の場合は早くから才能を発揮しています。

ただ気になるのは、そのジャンルが一定でなく、どこに何を求めているのかが定まりません。ふたご座の月は、思考能力がないことを示しますが、一定の考えを深めることは苦手だったのかもしれません。世に出るきっかけとなった「父還せ」は同時期に発表された「乳房喪失」の影響が大きかったと言います。

また私が影響を受けた「さよならの城」は、ケストナーの影響を受けたものでした。常々、寺山氏は誰かの影響を色濃く受けて自身の作品に生かしていきます。

寺山氏は、俳句と短歌の世界では、天才の名を欲しいままにしていました。早稲田大学当時、同世代にあたる学生に、大橋巨泉氏がいました。巨泉氏も俳句の道を進もうと思っていたのですが、寺山氏には逆立ちしても勝てないと思い、その道をあきらめたということです。

しかし、そんな寺山氏に一大スキャンダルが襲います。寺山氏の俳句が模倣ではないか、、、との問題が持ち上がったのです。盗作問題です。中村草田男氏や西東三鬼氏らの俳句の模倣ではないか、という批判でした。

白黒の決着はおぼろげになったと思いますが、寺山氏としては、純粋な思いでこの道だけに進む、というわけにもいかなくなったと思われます。

実は、ふたご座の月は、この問題と非常に深く関係します。ふたご座の月は考える能力がなく、思考力に弱さがあるので、自身の考えが持てません。どこからから借りてきて補う以外に方法がないのです。ふたご座の月の人が文章を書く際に非常に苦労するのもこの点です。

自身の中に思考がないのですから、本当ですと創作は無理です。しかし、自身はふたご座の思考や創作、文筆にこだわり続けますので、方法はどこからから持ってくる以外にありません。盗作問題という悪意は到底ないのですが、どうしても借り物なので似てしまいます。

寺山氏もそれを行ったと思わざるを得ません。状況の証拠は沢山あり、俳句はクロスワードパズルではない、、、と批判されるようにまでなります。クロスワードパズル的俳句とは、あちこちから単語を集めてきて、クロスワードパズルのように一つの世界を作る、、、ということです。

寺山氏の太陽はいて座ですから、構成力の方は本物です。あとは、深みのある単語や表現を借りてきて、それを独自に構成することで、魅力的な表現の世界を作ることになったと思われます。やはり寺山氏は、創作活動の最初の表現、思考方法のなさで、本当は困っていたと思われるのです。

短歌と俳句の道だけでは無理なので、以降、様々な方向への活動が始まったとも思われます。しかし、常に思考の無さは付きまとったはずで、彼にしかわからない苦悩があったと思います。以降、寺山ワールドはもの凄い広がりを見せますが、単独で行ったものは少なく、横尾忠則氏や東由多加氏、奥さんになった九条映子氏、谷川俊太郎氏、場合によっては明日のジョーなどの個性との協力世界の創出という面があったと思います。アイシンクができない、、、という月ふたご座の弱点を、人なつっこさや、人間関係を本能的に応用して補ったのでしょう。

寺山氏の多様なワールドは、個性の噴出というよりも、人の巻き込みによる場つくりの面が大きかったと思われます。ふたご座月は、人と話しても、何を話そうとしているのか、、、なかなかわからないし、最終的にも伝わらないのですが、それは良い面での巻き込み現象を促進させる利点があります。

「よし、わかった、、、おれが絵を描くよ」「よし、私がここで気張ってみるわ」「それなら外国に誰それという人が似たことをやってるので、連絡してみるよ」というような、おそらく垣根を超えた助け手の出現により、寺山ワールドが広がった気がします。月ふたご座には、アイシンクがないので、自分からワールドを見せることはできません。周囲のありがたい誤解による発展方式が寺山ワールドを支えていた面があったと思います。

というのは、寺山修司氏は競馬好きでも有名でした。私も当時から競馬ファンでしたので、競馬番組に出演する寺山氏の話しを真剣に聞こうとしました。しかし、期待に反してあまり面白くないのです。文章ならあとで練ることもできますが、その場の話しは、その人の中身がどうしても出てきてしまいます。

氏の話しには東北特有の独特のイントネーションがあって、それが個性としてむしろ輝くため、多くの人は気づかないと思いますが、真剣な競馬ファンである私の耳には、もう少し話しに輝きが欲しいとの思いがありました。

ミオソチスという馬が昔いて、寺山氏はミオソチスの大ファンだったのです。その娘だか、孫にあたる、アローエクスプレスという馬がさつき賞に出走したときだったと思います。寺山氏はしきりにミオソチスについて、そしてアローエクスプレスについて思い出深く語るのですが、私としては何かピンときません。

まず、ミオソチスは繊細な馬のイメージでしたが、アローエクスプレスはどちらかというと巨漢馬で、繊細なタイプではありませんでした。力でグイグイ押し切るタイプの名馬であり、ミオソチスの感傷とアローエクスプレスとは合っていないのです。因縁でしょうか。大橋巨泉氏も競馬好きで、やはりアローエクスプレスが勝ったレースについて語ったことがあります。

あるレースでアローエクスプレスともう一頭の馬が抜け出して、アローエクスプレスが鼻差という微差で勝ったレースの解説時でした。大橋巨泉氏は、凄い馬だな、、、わずか鼻差で勝ったと思われるかもしれませんが、あのまま大阪まで走って行ってもやはり鼻差で勝つんだよ、そういう馬だよね。

私は大橋巨泉氏のその解説を聞いて、寺山氏の解説よりもずっと面白く、文学的でさえあると思ったものでした。月のふたご座は、寺山氏から当意即妙な話しの楽しさは奪っていたように思えます。

しかし、そうした自身の足りなさをよく理解していた寺山氏だったからこそ、その後多方面での活躍をすることになっていったのだと思います。

月ふたご座の考えられない、、、本物の文章は書けない、、、真似事の文章しか書けない、、、、という運命に対して、寺山氏は脱文章化の方向に進みます。もちろん寺山氏が月ふたご座について知っていたわけはありませんが、彼が目指した方向はそれが良かったのです。脱文章、、、脱シナリオ、、、脱ストーリー、最初からアイシンクの無いスタートである点、間違いなく寺山芸術の出発点だったと私は思います。

「書を捨てよ 町へ出よう」は、まさに月ふたご座との決別であり、彼の芸術家としての記念碑ともなりました。やがて市街劇「ノック」は、シナリオもストーリーもない町の実験劇であり、月ふたご座のストレスなしの構造へと向かい出します。

しかし、月ふたご座の理解などない寺山氏は、自身の中にある、考えができない、、本当は文章が書けない、、、という自分への負い目やこだわりには大きいものがきっとあったと思われます。彼の活動が月ふたご座の欠けた自身への弁解となっていた部分は少なからずあったことでしょう。

1980年、宇田川町のアパートに侵入しているところを家人が不振に思い、警察に逮捕されます。のぞきだったと当時言われましたが、実際には市街劇ノックの下見であったというのが真相のようですが、妙と言えば妙な話しでした。

アパートの家人に言わせると、5年前にもアパート周辺をウロウロしていて警察を呼んだということです。同時期には肝硬変で入院もしており、晩年の哀愁が漂い出していました。

なぜ、それほどまでに酒におぼれたのか、、、なぜ自身にも破壊的な生き方しかできないのか、、、、それらはすべて月がきっかけになりますので、寺山氏自身の中で、月ふたご座の問題は未解決だったと思わざるを得ません。

彼の月ふたご座が本当の意味で評価されたことは、実はなかったのです。若いころに天才と言われた俳句や短歌の才能は、盗作事件によって傷つきます。しゃべることが下手で何を言っているのかわからない彼の態度は、仲間うちでは人間性として人気を博しますが、夫婦喧嘩ではそうもいきませんでした。

しきりに九条映子を言葉で説き伏せようとうする寺山に対して、九条映子の方が手を出すというパターンだったと言います。わかりにくい話し、意味のない話しに、妻の九条が我慢できずに手を出す、、、、ふたご座の月は、寺山氏の孤独と本当には自分には才能がないのかもしれない、、、との思いで自身を責め続けたものと思われます。

1983年、5月4日、寺山修司逝去。47歳の人生でした。

冥界から戻ったイザナギの尊は禊をしました。左の目を洗ったときにアマテラスオオミカミが、右の目を洗ったときにツクヨミノミコトがお生まれになったと古事記に記されています。

アマテラスは太陽。月読の尊は、ツクヨミで、黄泉を、それぞれ受け持っているのでしょうか。

左がアマテラス、、、右が黄泉、、、左は陽足りであり、右は身切り。
太陽が命を与え、月が命を奪う、、、、この構図を理解する必要があるのです。

月にとらわれれば、命は短くなりもするし、狂気に陥りもします。寺山氏の短い生涯の裏に、月のふたご座の影響を私は感じずにはいられないのです。

お知らせ
1月30日 ZOOM「月の座談会」 19時半から21時半まで
参加人数 10名
参加費用 7000円
形式 参加型ズームセミナーとなりますので、自由な話し合いが可能です。全国どちらからでもご参加いただけます。

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