愛の日記


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2018/7/16
道とエネルギー

2018/7/10
エネルギーの法則

2018/7/9
玉手箱の中と外

2018/7/6
MIチューナー フェザータッチトーンご使用方法(室田式)と圧の原理

2018/7/5
古巣MBでのオルゴールの夕べ&無料美容セミナー



エネルギー開眼ライフ 2018年08月11日(土)

人間は齢をとることは確かですが、動物は人間ほど年齢がわかりません。人間も年齢でくくるより、エネルギー状態で今の状態を捉えた方が合理的かもしれません。

歳とったな、、、と思っても、エネルギーが満たされていけば、あっという間に人は若返るはずです。加齢をそんなに恐れなくてもよくなるのです。

年齢や加齢でどうこうあがくのではなく、人間も動物と同じように常にエネルギーケアを行う方がベターです。

動物は何もしないでいる時は、毛づくろいなど、自身のケアに時間をさきます。人は髪をなでるだけで、動物は毛皮をなでるだけで、エネルギーを得られます。

エネルギーを得る方法が、食事や運動だと思っているから、私たちは加齢に立ち向かうすべを失ってしまうのです。


エネルギーを得る方法は、ゼロポイントを作ることであり、意識圧からとらえた方がベターです。

下記の動画では、肌のくすみやしみを取る方法を紹介していますが、それは最終的に、無がエネルギーを運ぶ方法の伝授でもあります。動物の毛ずくろいそのものに、無数のゼロポイントが発生しています。

とくにチューナーを使った場合は音が加わりますので、音が消えていく際のゼロポイントが加味され、影響が大きくなるわけです。

しかし、原理は何もチューナーにあるのではなく、なでるという物理的アクセスを元の状態に戻そうとする反作用の力以外にありません。

髪をなでる、体をなでる、、たったそれだけのことで、豊富なエネルギーを得られるのです。ゼロポイントの連続発生がなでることで起こるからです。

こうしたケアを二週間も続ければ、きっと驚くことにあなたは気づくと思います。たった一回のケアでもいいので、その前後を鏡で確認してみてください。髪の艶はどうでしょうか。髪の手触りはどうでしょうか。

私たちは常に何等かの方法でゼロポイントをつくり、他の動物たちと同じように自身のケアを、体にも心にも行うことが大切なのです。

最初の動画は、髪とお顔周辺に無数のゼロポイントをつくり、エネルギーを集める方法です。二つ目の動画では、お口の中にゼロポイントをつくることで、顎のラインをきれいにすっきりしようとしています。

お盆のお休み中、どうぞごゆっくりご覧いただき、ぜひ実際にケアしてみてください。

SHOPマドモアゼル・愛のお盆休みのお知らせ

8月12日から8月20日まで、お盆休み及びセミナーのため、お休みさせていただきます。8月21日の火曜日から通常に戻ります。よろしくお願いいたします。カートは年中無休です。(お休み中にご購入いただいた商品の発送は8月21日からとなります)

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311の際のローマ法王の言葉 2018年07月30日(月)

311が起きた際に世界各国の元首クラスの人から見舞いの言葉が届きました。その中で不思議で気になったのがローマ法王の言葉でした。

話しの前後は忘れましたが、次の一文ははっきり覚えています。「悲しいことですが、これで日本は貧しくなる」と。

原発事故が起きた国は三つあります。アメリカスリーマイルズ島。ソ連、チェルノブイリ。そして日本の福島です。

もっとも進んでいた先進国の三国で、原発事故が起きました。他の国でも小さな原発事故は起きていますが、大きなものは以上の三つ。それも大国ばかり。

確かにソ連はチェルノブイリで潰れ、アメリカもスリーマイルズ島の事故あたりから急に貧しくなった印象があります。そして日本ですが、あれから7年、見事に貧しい国になりました。子供の15パーセントが貧困で食べるものに苦労しているなど、あの日本が、、、と思わざるを得ません。

しかしなぜローマ法王はそのように予想できたのでしょう。原発事故の処理で莫大なお金が消えていくことがわかったのだと思います。

莫大なお金が消えることで、日本はいくら働いてもいくら稼いでもすべてが消えていく運命。そうした国の運営に切り替わったわけです。いくら金をかけても何も生まない構造。未来のない日本人。

かといって事故処理を止めるわけにもいかない、、、世界的な賠償が今後重なったら、日本はどうなってしまうのでしょう。

よくもまあ、ここまでやってくれたと思いますが、これでへこたれる日本と日本人ではありませんが、今は闇が一番深いところに来ているというだけです。

考え方さえ変えれば、、、やり方さえ変えれば、、、邪魔さえしてくれなければ、、、今の絶望も、あっという間に希望に変えることが本当はできます。どうにもならないことを、どうにもならないやり方でやって、未来がないと思っているだけ。

日本人の意識改革が必要になっています。ひとつひとつじっくりと意識的に対応すれば、絶望はすぐに晴れます。

除染はどうすれば本当は効果的か。お金がなくてもできるやり方は何か。医学は本当に人を幸福にしてきたのか。水道は使い捨てしかないのか。電気は本当に電線を通して遠くから持ってくるしかないのか。病気とは何か。自然界の動物に病気が少ないのはなぜか。クーラー以外で冷を取ることはできないのか。物には本当に力があるのか。カロリーは本当にエネルギーなのか。130は高血圧か。長生きできる家はあるのか。(早死にする家ならありそう)教育は人を利口にしてきたのか。本当はバカにしてきたのではないのか。マスコミは本当のことを言っているのか。全部嘘じゃないのか。本当のことを言う人を、おかしな人だと思わせているのは誰か。

まあ、色々な視点から、一つ一つの疑問をじっくり意識的に解いていけば、この世の薄暗いカーテンを取り払うことができると思います。

有史以来、人間は生きてきました。生きることが難しいわけがありません。発達した科学も医学も教育もあるのに、生きることはだんだんと難しくなってきています。嘘を突かれているからです。有史以来、もっとも生きることが難しくなりつつある矛盾。そろそろ、嘘にも力がなくなるころです。

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台風のため8月4日に延期された432Hzオルガニートの夕べですが、追加で参加募集となっています。4日の夕べ、早稲田です。会費は4320円。世界でひとつの432Hzオルゴールの演奏、また、音からエネルギーを得たり、思いを遠くの人に飛ばす実験も行います。詳細と参加ご希望の方は下記まで。

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タガが外れだした世界と日本 2018年07月24日(火)

一部の情報のようですが、中国では習近平崇拝の動きに突然ストップが出ているとか。毛沢東の時でさえ、崇拝への限界が来ると、毛沢東の奥さんを含む5人組が捕まる流れになりました。

習近平氏の力量は毛沢東と比べるとやはり弱いので、かげりが出たとしたら変化の動きは早い可能性があります。

日本でも安倍氏の一強路線に陰りが出てきています。それでもまだ45パーセントの支持率があるとのことなので、一見安泰のように見えますが、いつどうなるのかわからないのが政治の世界。

小泉親子と一体となる小沢氏の采配が動き出している気配のようにも見えます。

政変の臭いがあるのも事実でしょう。天では私が心配したやぎ座での満月とかに座での新月でしたが、確かにその中間点において自然災害が襲いました。甚大な被害が出ており、復興の目途もたたない状況とも言えます。

その対応のまずさにより、安倍政権への批判が出ていますので、もしかしたら今回の災害は自然災害というより人災としての面がクローズアップされ、政権を覆すことにもなりかねません。

黒田日銀総裁もゼロ金利の限界を言い出すあたり、みな、それぞれがそれぞれの立場から逃げ出し体制に入ったのが見て取れます。こうなると中国も日本も変化がスピードアップすることになるでしょう。

火星が大接近しているためか、世界的な酷暑です。10数年前の火星大接近の際は、ヨーロッパで異常な暑さとなりました。今回も同様です。7月31日が最接近なので、その前後がどうしてもホット&ドライという火星の影響を受けることになります。


自然も人間の手によって不自然なものとさせられていますので、どうしても自然からのしっぺ返しがこれからも訪れます。今年はとくにそうした状況がありますので、注意は必要です。

安全な場所と暮らしを求めて、人類が大移動すると言ってもオーバーではない現象がスタートするかもしれません。

混乱の時代は、何が本当に価値あるものかを問われます。水道も電気もガスも外部からもらい受けている形ですが、こんな危険なことはありません。すべて個々でエネルギーを生産し、消費できる体制があれば、生きていく上での不安はないのです。この観点からの生き方改革を目指す時代になっていくのではないでしょうか。

それがうまく行けば、人は何かに支配されずに済みます。支配しようとするものに力がなく、しかも不快ならば、個々で生きることを考えるしかないでしょう。そうしたムーブメントが起きてくれば、きっと楽しいと思います。

さて、7月28日の今度の土曜日の夜、私の432hzオルガニートの音楽会と音についての話しやエネルギーについての講演会があります。場所は早稲田駅すぐ近くの、マイバースデイという昔あった雑誌の編集をされていた説話社の施設で行います。

まだお席があるようですので、お時間がある方はぜひいらしてください。楽しい晩になると思います。参加費用は4320円です。下記フォーマットからお申込みをお願いします。

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菌婚式と幼菌園  好菌生活と未来世界 2018年07月21日(土)

子供時代に友達の家に遊びに行く、、、玄関を開けて友達の家に入る、、、真っ先に気づくのは、その家の匂いでした。

家によって全部違う匂い。同じ家はいつ行っても同じ匂いなので、いつしか、どの家の匂いがどうか覚えてしまったものです。不思議なのは、最初は気になった匂いも、20分もたつと分からなくなっていきます。

慣れたからわかなくなるのか、自分の体や服にも、その匂いがついたからなのかもしれません。

現代の若い女性は大変清潔好きです。清潔さは常に魅力の第一歩ですが、度が越えた清潔好きは、何か気になります。そこには、ケミカル主体の生活を目指す人特有の共通の雰囲気が出ています。

ドラッグストアと女性の生活は切っても切れないものがあると思いますが、ことさらドラッグストアが好きな人は、度が越えた清潔好きなのでしょう。しかし不思議なもので、そうなるとあまり清潔に見えなくなる。本当の清潔さには、ケミカルとは別の健康美があってのことなのかもしれません。

夏にマスクしている女性がいくら清潔好きだと言っても、逆に清潔に見えない。夏にマスクしている人とは一緒に食事をしたくないと感じてしまう。もちろん、風邪をひいているとか、病気があるという理由がある場合は別ですが。

現代の無菌をすすめる風潮には、その土台に不自然さがあるように思えてなりません。

ひるがえって子供時代の話しに戻りますが、それぞれの家の匂いは、その家に住む菌と関係していた気がします。その家特有の菌が発酵し、その家特有の匂いを発している。

人間はお母さんのおなかの中にいるときには、無菌です。生まれてくる際の産道で、生まれた後は空気や抱っこされることで、すぐに様々な菌類の洗礼を受けることになります。以降、時間をかけて、様々な菌類を赤ちゃんや子供は身に受けていくわけで、成長とは、数多くの菌類を体に入れること、、、と言っても良い一面が出てくるわけです。

無菌がベストのような社会の風潮は、人間を発酵から遠ざけるためのケミカル信仰を助長するような異様さがあります。無菌状態で人間を育てるのと、有菌生活での成長と、どちらが健康に良いか、、、という調査もあるようです。結果は無菌の方が良いというのです。ただし、一定の条件の元でのもので、実際に無菌環境で生きる人間が幸福であるかどうかは別の話しになると思います。

現実の世界には様々な菌類があり、それによってあらゆる生命は成長し、変化し、適応してきていますので、無菌生活は絵空事の実験室での話しにすぎないと思うのです。

実際に無菌で生きられないのなら、菌とどのようにして付き合っていくのがいいか、、、と考える方が、無菌を目指すよりも自然です。

幼稚園に入園する目的も、社会生活に慣れるためというより、色々な菌類をもらったりあげたりするため、とも言えると思います。
それぞれの家にしかない菌が幼稚園で交わるのです。菌同士のふれあい、、、それが幼稚園、、、すなわち幼菌園です。

人は大人になると愛する異性に出会い、結婚する人も多くなります。そして菌から結婚を捉えることも可能です。その場合は、結婚式は菌婚式になるわけです。

二人の菌が密に出会う生活。まさに菌婚生活です。多少Hな話しになることをお許しください。好きな異性の体のどこに目指す菌が生息しているのか、、、の観点からセックスを捉えることもできると思います。説明は省きますので、取り急ぎ想像してみてください。

触る、、舐める、、体を密着させる、、の意味もなるほど、、、と思わざるを得ません。小説「雪国」には女性の足の指をなめる中年男性が主人公になっています。足の指に生息する特殊な菌がきっといてのことなんだと思います。

さらに菌の特殊性を考えると、インフルエンザの菌は宇宙からやってくるという説があり、私は有効な考え方だと思っています。地球の自転速度に比例してインフルエンザが発症していくケースが多いのです。宇宙から来た菌ならば、納得です。
さらに、隕石の中に潜んでいた菌類が地球衝突の際に飛び散り、一定の条件を得て活動し出す、、、胞子状の菌が宇宙から隕石に乗ってやってくるケースもあると思います。

こうなると、地球や生物の発展進化に宇宙の菌類が関係している可能性も出てきます。

また、地球の様々な奥地にしか生息していない菌があるはずですし、海底深くにしか住まない菌もいるようです。海底火山の噴火口の熱い水温にしかいない菌もあるとか。そんな菌なら隕石に乗っかって、加熱されてもビクともしないで地球にまで到達できたはず。そして今は噴火口の灼熱の環境に身を隠しているのかもしれません。

こうした菌類が私たちの生命と関係しないはずがありません。

昔の住居は何百年もの間、何世代もの人が暮らしていました。その軒や柱や天井には、その家にしかすまない菌がいたはず。何百年も進化しながら家に住み着く菌。新たな嫁が入ることで、さらに発酵し、独特の家の菌に育っていく。

そうした何百年もかけて育った家の菌も、都市化の嵐の前で、廃村となり、廃家となり、壊され、この世から菌ごと無くなっていく。

本当に貴重な菌が今後どうなっていくのかと考えると、心もとないものがあります。何百年もかけて家に生息し、発酵進化した菌を無くしてしまう都市化と廃村化は、人類の可能性の大ピンチなのです。

もしかしたら、あの村にあった菌が、あの病気を治してくれる菌だったかもしれないし、癌を治す菌だったかもしれない。都市化、現代化というワンパターンに陥りがちな菌類の粗末化が、人類の進化の足を引っ張っていた可能性があるわけです。

廃屋の菌類を集める、色々な人の菌類を薬に利用する、地球各地の点在する貴重な菌類を集める、、、壮大な菌の図書館が今後必要になってくることでしょう。そこには、すべての答えがあるはずで、答えとその運用を待つ間、人類は菌類を守っていく必要があると思うのです。菌のタイムキーパーにならなくてはいけません。

最後に菌に関した私の見解ですが、菌は微細な存在のため、デリケートな圧によって動くと思います。意識圧と菌の活動という分野がいずれ出来てくると思います。そこまで行けば、夢のような時代が到来していることでしょう。

亡くなった方の遺品。そこには条件が整えば、菌類が生き生きと動きだす息吹がきっとあります。死んだ人の遺体をどんな苦労をしても私たちは探そうとします。遺体や遺品には、その方の生前の息吹が残されているからでしょう。そしてそれは単なる思いだけの問題ではなく、いつになっても、ある一定の条件が整えば、かつてのその方の菌類がうごめきだし、そこに亡くなった方本人が復活して現れるようなエネルギー現象が起こると私は思うのです。

愛する人が亡くなり、生前の遺品を残された、、、その人の大好きだった音楽を奏でる、、、、大好きだった食べ物を作る、、、そこに思いを寄せ、遺品に触れれば、そこに生前のその人は必ずいるのです。そうしたコミュニケーションの方法も菌に寄れば可能となります。

菌と私たちの付き合いは、これから始まっていくのだと思います。意識圧と菌との関係性が分かって行けば、医学も科学も生命倫理もすべてが根底から変わっていくと思います。


夏休みのお知らせ  8月12日から20日までお休みします
尾山台にありますSHOPマドモアゼル・愛は8月12日から20日まで夏休み及び研修期間となり、お休みさせていただきます。8月21日からは平常通りの営業となります。

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二つの音楽 2018年07月17日(火)

先日、尾山台のSHOPのちょうど前で、近くの中学生のブラスバンドの演奏デモンストレーションがありました。

中学生なので演奏は未熟でしたが、純粋な音に不思議な感動がありました。店長などは泣きながら聞いていました。

音楽にははっきりした二つのありようがあります。一つは生演奏です。そしてもう一つは、電子信号に変えた形で音を再生する演奏です。

生演奏はわかりやすいと思いますが、CDや音楽コンテンツのほとんどは電子信号が音に切り替わった形です。

生演奏でもマイクやアンプ、拡声器を通せばそれは純粋な生演奏とは違ってきます。どちらが良いというのは野暮な話しで意味はありませんが、あえて誤解を覚悟でいうなら、私は生演奏と何等かの電子信号が付帯してくる音楽では、厳密な違いがあると思っています。

しかし、この区分けはほとんど最近ではなくなり、生演奏でもマイクを通しますし、生演奏でも結果的にはCD音楽との区別がほとんどなくなるケースが多いと思います。スタジオでは生演奏とはいうものの口パクでも通用するケースが多いと思います。

となると、二つの音楽とは、完全な生演奏とそうでない、何等かの電気信号化した音楽の二つになります。

この違いは私にとってはとんでもなく大きな隔たりです。しかし、通常ではあまり問題にされません。大きな会場でたくさんの人数に音楽を聞かせるケースが多いのですから、それは当然ではあります。

しかし、この二つの音楽の違いは、実は皆が思っている以上に決定的に重要なことではないでしょうか。私はまったく音楽が異なったものになると思うのです。

アンプ操作でマイクで音量を増した音は、作られた音であり、本来の音と違ったものなのです。あくまで私の勝手な思いですので、それが正しいなどとは言いませんが、私自身はかたくなにそう思っている、、、その視点から話しをしているわけで、正しいと言っているわけではありません。あくまで私個人の考えと思いを語らせていただきますので、かなり勝手なことを言うことをお許しください。

必ず、ご不快に思われる方が多い話しとなりますので、あらかじめお許しを得てからすすめたいと思います。いやな方はぜひ今の時点で、お聞きにならないでください。きっと不快になると思いますので。

私は音楽は生演奏しかないと思っています。他の音楽は音楽でないと思っています。これは考えというのではなく、アンプやマイクを通して出た音、また、CDや映像から出た音と、本当の音には、明らかな違いがあると思います。

ただ、電子音は非常に便利ですし、便宜上、もちろん必要なものです。なので、社会にはこれは絶対に必要不可欠であり、それを非難する気など毛頭ありません。ただ、それでは魂にはいる音楽にはならないと思っているのです。

それはエネルギーを人に与える音ではなく、エネルギーを奪う音だと確信しているからです。ただし、あえて好きな曲を聞く、、、という前向きな思いで電子音を聞いたなら問題はありませんし、そこに自主性があれば問題にはなりません。

逆にボーっと電子音を聞いていると、それがテレビでもラジオでもそこに聞く、見るという自主性がないと、本当は極めて危険です。エネルギーを奪われる形になるためです。それについてはまたの機会に話すとして、今回は音楽とは何か、、、の観点から、あくまで私個人の勝手な考えと思いを語っております。

実は私に限らず、誰でも本当は生の音と電子音が異なることくらい、実は感じていると思います。しかし、誰もそれを言わないし、マイクなどは便利なので、知らぬ間に受け入れているのでしょう。ふたつの音の違いなどほとんどの人があまり気にしてないように見えます。しかしそう思わされているだけなのです。

生の音も電子音も大差ないという、おそらくたくらみが世界的にあったのだと思います。生と電子音の違いは、即興と目的化した音の違いでもあります。

現在のアーティストはすべて電子音の世界で作曲し歌い、表現していますので、その方向は即興ではなく、完成形を目指す音楽になりがちです。アルバムづくり、、、デモ映像づくり、、、すべて基本にあるのは目的化したイメージづくりです。要するに宣伝です。電子音の音楽会でも即興はありますが、すでに何度も実験した音効果を使う即興となりがちです。

これに対して、比較的狭い空間で生演奏されるジャズでは、即興が命です。その即興はあえて練習して来た内容を披露するのではなく、「お前、そう弾くか、、、じゃ俺はこうだ、、、」とベースとピアノは張り合う、、、まさに即興の世界です。

アンプを通した生演奏も生演奏に違いはありませんが、表現をミスったら音量でごまかすなど、人為的な面がどうしても強くなるため、目的は聞く人がどうなるかという効果を狙う形になってしまう音楽なのです。

通常の音楽業界の人達は基本は純粋な人が多いとは思いますが、なぜか私は吸血鬼的なにおいを感じます。魅力的な作曲ができるアーティストを取り巻き、アーティストの曲に厚みを作り、演奏効果を加味してアーティストから結果的に音楽を奪っていく吸血鬼的存在。

音で、音楽で人の心を動かし、魂を取り込むことも可能ですので、この音楽という業界はもっとも時代性の方向を作れる最先端に位置し、世界をどう動かすかの本当のトップが君臨するエリアとも言えるでしょう。

この世が悪魔の時代であるなら、そこには最高の悪魔がいる可能性すらあるわけです。アーティストがアルバムづくりをするのは、最高の効果を考え、最高のイメージ、売れるイメージ、時代をリードするイメージに貢献するものとなります。天才的なアーティスは曲の主題とイメージの原型を提供し、それをスタッフが目的化していきます。

生演奏の即興には、こうした方向付けは無縁で、アーティスト、プレイヤーたちの個性と人間性と状態のぶつかり合うその場だけのたまものという本当の音楽になります。

これに対して、アルバムづくりという影響を目的化した音楽は、電子音というまやかしでしかでき得ないものなのです。

ハッと目が覚めるのは、生演奏以外にありません。アンプ、マイク、電子音により、私たちは仮想現実をあたかも現実のように思わせられていくのです。これがもっとも重要な時代原理の大元にあるはずですので、この世の支配者の直系の力が音楽業界にあることは確かでしょう。
アンプ、マイク、電子音こそ、うお座時代の集大成の姿です。嘘を信じ込ませ、幻想を現実と思わせる力でこの世は運営されています。

私たちが自身の声、生の音、生の音の繋がりとしての音楽と、通常私たちが聞いている音楽との違いをもっと意識できたとき、私たちは自身の出す生の声や音にある命を実感します。

母音トーニングを重視するのは、そのためなのですが、人口音の嘘を見抜くことでしか次の時代は訪れないかもしれません。そこが要なのです。

私たちがやられてしまったのは、人工音も電子音を含まない生演奏も、大差ないと思わせられていること。さらに人工音を自由に作るアーティストがもっとももてはやされる仕組みなど、真実から魂から遠ざけるためには、この分野がもっとも重要な働きをしていることに気づくことで、本当の音楽を取り戻すことが大切だと思っています。

実際に、謙虚に本気で、生の音と、人口音を比べてみてください。違いは決定的です。なのにそのことを誰も言わない、、、誰もそうだと思おうとしない、、、このマインドコントロールこそが最大のものであり、今の世界を維持する要になっているように思えます。

以上ですが、あくまで私個人の勝手な言い分であることを、改ためてお断りしておきます。もちろん、私自身はそうだと確信していますが、人様にそうだ、、、とは強弁したくはなく、あくまで私の言い分として書きました。
 

道とエネルギー 2018年07月16日(月)

 人生や生き方にも出口があると思います。勝つとか負けるという出口。損得だけで終始人生を生きる人もいるでしょうし、享楽の追求で人生を生きる人もいます。その他、趣味の追求や信仰をよりどころに生きる人もいるでしょう。

人さまざまで、何が良いとか悪いとかは言えませんが、人の生き方をエネルギーから捉えたとき、古くから言われる「道」の存在が見えてきます。

エネルギーはすべてを生かす力であり、すべてを生み出す根源です。真実を追求する際、エネルギーを無視しては語れませんし、唯一の真実がエネルギーの法則です。それは物理的真実であると同時に心理的真実であり、意識であり霊界も幽界も現界も含むあらゆるものに共通します。

人間も霊人もお化けも神様も、すべてがエネルギーによって存在しています。

形や世界は異なるものの、共通の原理の前であらゆるものは存在しています。その存在のあり様には、主に二つの方向があります。ひとつは荒ぶる表現として存在するもの、、、もうひとつは発酵した無をよりどころにして存在するもの。

それは人間界であれ幽界であれ神霊界であれ、同じなのです。荒ぶる、むさぼるものは、どの世界の存在であれ、必ず消えていきます。荒ぶること自体に、むさぼること自体に力はなく、崩壊に進みます。

一方の発酵と無をよりどころにする存在は、反対物を受け入れることで無を作り、そこからエネルギーをもたらします。無からしかエネルギーは来ないためです。発酵をむねとする意識は相手が悪であろうがむさぼりであろうが、反対物や意識が存在するだけでうれしいのです。とくに著しい反対物がない場合は、無と直接かかわりあって自身の存在との一体化による発酵を目指します。これが「道」です。

無と関わり合うということは、発した声は消えていく、、、消していく無を意識しつつ声を出せば、それはエネルギーワークとなり、道となります。

柔道や剣道や合気道もおそらく相手の力と一体となって和すことで、次元を超えた境地に至ることを目的としているのだと思います。やはり道です。

道端のむくげは馬に喰われけり、、、という確か芭蕉の歌があります。道端の花を馬が食った、、、ただそれだけのことだと思っていましたが、無意識の中ではずっと気になっていました。

そしてある時、突然、馬に喰われたむくげの花が、そこに今はない道端の空間に見えた芭蕉。の思いが伝わってきました。ここにも道があると思います。

トンチのようになってしまいましたが、では道とは何かです。無の世界との連携プレイが道なのです。

出したものの、存在しているもの、発生したもの、あらゆるものすべては消えていきます。また、消えていく無の世界から訪れるエネルギーによる間は存在し続けていきます。

私たちの人生も無からエネルギーを受けている間は生きられます。無のエネルギーによって生かされている私たち。

あらゆる存在、存在足らしめている力、そのすべてがエネルギーです。私たちのあらゆる行為にも大元で関わるのは、このエネルギー以外にはありません。

有限に頼み、有限のみを見、有限のみしかないと思っている人は、道を作れません。道を歩むこともできません。

有限に作用する際に、常に無を意識することができれば、道としての人生がスタートできます。

昔の日本人は大変体が丈夫だったといいます。現代人の想像をはるかに超えるレベルでのそれは丈夫さだったようです。幕末に日本に来たドイツ人は、たった一人でほとんど休まずに箱根まで楽々と行ってしまう人力車の車夫の体力に驚いたといいます。

太平洋戦争で敗戦した日本でしたが、戦勝国のアメリカは今後日本が二度と欧米に立ち向かわないようにと、色々研究したといいます。その中でも、驚異に感じていたのが、日本人の体力と飛びぬけた丈夫さだったといいます。

今の私たちは残念ながら、世界の人の脅威になるほどの体力などありませんし、わずかに優れているのは、他の国の人達よりも多少長生きする程度のことぐらいです。と言っても、欧米に比べて寝た切り老人の数は比較にならないほど多い日本の現状。

それに比べて、幕末、明治、昭和の敗戦までの日本人の体力とその丈夫さは、異様なレベルにあったことは間違いなかったのです。欧米の食生活が日本人には無理があったと言われますが、原因はそれだけではありません。

道が無くなりつつあるためです。道は無と共に歩む姿勢ですので、エネルギーの宝庫となる生き方なのです。道を追求すればいやでも丈夫で長生きするケースが多くなるのが自然です。無からしかエネルギーは来ませんので、道の追求=健康で丈夫で長生きとなるわけです。

寿命は戦後の方が飛躍的に伸びているので何とも言えませんが、赤ちゃんの死亡率や衛生問題などを考えたら、戦前と戦後の日本人の寿命の変化も喜んでばかりもいられないと思います。まして健康で丈夫、、となれば、これはあきらかに戦前に軍配が上がります。

昔の日本にはかろうじて道が残されていました。日頃の立ち振る舞いにおいて、静けさ、こじんまりした境界感、四季を愛でる態度と習慣、不要に声を出さない、食べ方の繊細さ、けじめ、執着しない態度、、、、まだまだ色々あると思います。

日々の生活の仕方にうるさい、とも言えますが、無と一体となった姿勢を生活の態度の中に求めたことが、日本人の長い歴史の中にあります。無駄のない美しい立ち振る舞いで、日々を暮らすことができれば、そこには、無数のエネルギーワークが存在します。

お茶を入れる、出す、そのしぐさの一つ一つが無と一体となるセンスは、エネルギーワークなのです。何も茶道のことを言っているのではなく、日々の家庭でのお茶入れの際、思いを入れてお茶を入れる、、、心を込めてお茶を出す、静かに茶碗を置く、、、それだけで、お茶を受けた人もいれた人も満たされるのです。

無と一体となったもてなしだからであり、お茶を何グラム入れるとおいしいか、、、お湯の熱さは何度か、、、という現実的でケミカルな世界とは異なる幸福があるのです。

黒板に先生がチョークで昔は書きましたが、先生が一心に無心で黒板に書くチョークの音は、教室に響き、幸福感やエネルギーを子供たちに与えたのです。先生のご機嫌が悪く、無と一体となれない日の先生のチョークの音は、子供の心に痛い感じで突き刺さったはずです。私たちは、常に、本当はそうしたエネルギーによって生かされもし、元気を奪われもしていたのです。

日本人の脳の構造は左脳で母音を聞き取りますので、虫の音や風の音、自然界の音を声のメッセージとして聞くようになります。その結果、繊細で自然に沿ったきめ細かな文化が生まれたのですが、それは同時に無に通じる高度なエネルギーワークとしての道を生んだと言えるでしょう。

ならば私たちの生きる意味も、日々の立ち振る舞いや存在のありように、無と一体となったものがあるかどうか、、、「道」の存在は省いてはおけないものになると思います。

人にはそれぞれの道があると思うのです。エネルギーがすべてなら、エネルギーとの関わりを解く道の存在なくして、私たちの人生は考えることはできません。

あなたが出した声はそれを止めようとする無と一体化する道があります。
あなたが食べる食事には、その食べ方において無と一体化する道があります。

あなたがご主人に出すお茶のいっぱいには、ご主人を不快にも幸福にもさせる力があります。あなたが子どもに声をかけるその声は、自我なのか、無と一体となる響きなのか、、、それを子供のセンサーは見抜きます。

いま、日本人が成さねばならないものに、道の復活があるように思うのです。それは私たち日本人以外ではできにくいものであり、その責任が日本人にはあると思います。人種問題で捉えないでください。特殊性とその責任の観点から言っているのです。欧米は産業革命で世界の役にたってくれたので、これだけの科学的発展を世界は得ることができました。

それは本当に素晴らしいことです。そして、今はそれだけではもう世界は幸福になれないことがわかってきました。次は道を知る人の存在、その働きがやがて必要になってくることは確かだと思うのです。優劣の問題ではないのです。役割の問題として、欧米には欧米の、アジアにはアジアの、日本には日本の、役割があると思うのです。共通するものについては、すでにほぼ共通項は満たされていますので、あとはそれぞれの特殊性をもって、世界に貢献しなければならない地点に来ていると思います。

日本には、無のエネルギーである「道」の存在が昔からあり、フリーエネルギー時代が到来したなら、「道」が復活することは間違いありません。「道」こそがフリーエネルギーそのものだからです。
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