愛の日記


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所有から利用価値(共有)社会へ 2016年09月29日(THU)

  今から20年前に「森と平野に分化定住する時代」という本を出しました。

当時は私の著書はベストセラーもあり、多くの人に読まれていた時代でした。

しかし、「森と平野に分化定住する時代」は、出版社に原稿を見せてもこれは売れませんね、、、と言われ、仕方なく自分で出版社を作って出しました。

未来社会のイメージとその原理を語った内容で、今に至ってもまったく書き直すところはありません。20年前に思い描いた内容は、実際にその方向に向かっていると思います。

当時、なぜか何人かの霊能者が突然いらして、「あなたが書いたこの本の内容通りに未来はなります」と言ってくれたことがありました。

確かにこの本はあまり売れませんでしたが、毎月何冊か売れ続けた結果、もう手元に数冊を残すばかりになってしまいました。

売れないとはいえ、一部に与えた影響はあったようです。伝え聞いたところによると、村おこしや町おこしの隠されたバイブルになっていたとか、何人かの教祖様の目に触れて、田舎で集団移住した宗教団体もあったということでした。

ただ、伝え聞いただけで、真偽のほどはよくわかりません。ただ、私は今でも、あの本に書いたような社会がいつか訪れると信じています。

さて、あの本の中には共有社会については書いてありませんが、新しい時代つくりの次のプロセスとして、所有から利用価値すなわち共有社会への移転がどうしても必要になると思っています。

「森と平野に分化定住する時代」の次は、「所有から共有社会へ」と題した本を書こうと思い、当ブログでも具体的な内容を何度か語らせていただいたことがありました。

森と平野に別れて暮らす社会はまだ到来していませんが、ここに来て、所有から共有社会への流れが、先に訪れるのではないかと思いはじめています。

私が尊敬する藤原直哉先生は、はっきりとこれからはシェアする社会になっていくことの必要性を述べられています。

おっしゃる通りだと思います。藤原先生のお考えに私も力を得て、共有社会とはどういうものなのか、、という観点から、私なりの考えを今回のブログを書きたいと思います。

私たちは両親の元に生まれ、その家で育ち、一定の年齢になると、今度は家を出て一人暮らしを始めたり、結婚したりします。結婚した人には、赤ちゃんが生まれたりして、家族が増えるケースが多くなります。

そして子供たちは成長し、やがて家を出ていきます。そして夫婦二人が残る、、、もしくは配偶者に死なれたら一人の生活になります。

どれがいいとか悪いとかではなく、上記のような流れが人の一生のスタイルです。そしてこのスタイルを通すには、その都度都度でかなりのお金がかかるのです。

家を出る際は、マンションを探し、数十万円の敷金や礼金などを支払います。若い人にとって、けっこう大変な金額です。

それでいて、実際に住める家というのは、1DKの狭いマンションが良いところです。家賃は都会なら5万円から8万円もするでしょう。高いのです。

家を出て働くのですから、生活費もかかります。7万円の家賃に生活費を入れたら、最低でも15万円はかかります。

毎月15万円を現金でもらうためには、18万円程働かなければなりません。けっこう大変なのです。

私はお給料がいいから、、、といっても、せいぜい20代なら20万円から30万円が良いところです。7万円のマンション代はやはり大きいと言わざるを得ません。

そんな大金を叩いて借りたマンションは、わずか25平方メートルです。しかもそのマンションは、最上階から一階まで、同じ場所にトイレがあり、同じ場所に流しがあり、同じ場所に玄関も風呂もあるのです。

それは建設コストを考えたら当然なのかもしれませんが、そんな味気ないマンション、それでいて高額な負担を強いるマンションのトイレは、みんなが働きに出ている時間帯は、すべて使われることなく、まったく意味ないまま存在しているのです。

トイレだけではありません。風呂も部屋も同じです。

この利用していない時間帯の無駄のための出費は、誰が行っているのでしょう。貧しく無理して借りた自分なのです。利用することなく存在する無駄のために、私たちの労働の多くの時間が当てられているのです。

そんな味気ない手ごたえのない一人暮らしから出発した私たち。

次に大好きな異性と出会い、結婚。

さすがに二人の暮らすマンションではどちらも小さすぎてどうにもならないので、新婚のスタートは、2DKないし、3DKはある、40平方メートル以上のマンションなどを探すことになります。

今度は敷金や礼金も多少高くなります。家賃も10万円程にアップ。当然二人で働く生活になるでしょうから、暮らすマンションは大きくなったとはいえ、最上階から一階まで、同じ角にトイレがあり、同じ場所に流しがあり、玄関もきっと同じです。

そして昼間は誰もいない、稼働率最低のマンションになるわけです。その維持のために二人は働くのです。

7万円のマンションに置いてあったものは、安い家具や100円SHOPのゴミの山だったので、結婚を期に捨てることになるでしょう。

新たなおめでたい出発なのですから、多少奮発して家具やベッドを購入もするでしょうから、お互い、これまで暮らしていた部屋のものは、ゴミ箱行きとなります。

次に赤ちゃんが生まれます。女性は働けなくなります。と言って、10万円のマンションではあまりに生活に不便です。狭すぎますし、残業で帰りが遅くなる夫に赤ちゃんの夜泣きは気の毒な気がして、もう少し大きな部屋に、、、との思いがつのります。

次はどうなるでしょう。大きなマンションを借りたら、月15万円の出費。妻はすぐには働けないかもしれないので、収入は減っています。

夫もまだ若いので、役職手当がやっと出るかどうか。派遣の人にとっては役職手当などつくはずもありません。

と言っても子供ができたのですから、夫の小遣いを減らしてでもどうにか大きなマンションへ移り住むか、もしくは、数千万円の家を購入する、、、との選択がまっているわけです。

どっちに転んでもまた引っ越しです。またお金がかかります。家具類ももう7−8年たって痛んでしまいました。思い切って捨てることになりました。

もう話しはこの程度にしておきますが、こうして、私たちは、常にかつかつのところで生活し、かつかつの家具類を持ち、かつかつの家に住み、大して良いものを持てずに一生を送ります。

なんだか寂しい話しです。一生懸命働いても、なんでいつもかつかつなのか。

その理由は所有にあるのです。独り住まいを始めた小さな月7万円のマンション。そのマンションは、最上階から一階まで、同じ場所にトイレがあり、小さな風呂があり、流しが同じ場所にありました。

しかもそれは昼間は誰もつかっていない、、、また万書の中にあった家具類は安物だったし汚れたので、すべて捨てて結婚しました。

誰も利用しない時間の多いトイレ、風呂、流し、、そし
てすぐに捨ててしまう物、物、物、、、確かに安物ばかりだから、すぐに変える、、、すぐに捨てられる、、、それは確かでしょう。

しかし、よく考えていくと、あの、同じ場所に上から下まで並んでいたトイレは、一定の時間だれも使用しない、、、それが全室同じように存在する都会。

すぐに捨てる物、、物、、こうした、利用されず、生かされないものを所有するための代金を稼せぐために、私たちは仕事の何割を頑張っていたのでしょうか。

もしかしたら、私たちは、簡単に消費して捨てる物のために、仕事をし、忙しくしていたのかもしれない。

ゴミやガラクタのために働いていたのではないのでしょうか。

だから何も残らないケースが多くなるのです。

町には多くの車が走っています。日本には正確にはわかりませんが、おそらく8000万台ほどの車があるのではないでしょうか。正確には知りませんが、とにかく恐ろしい数なのです。

みんなが車を欲しがります。恋人ができたら、家族ができたら、確かに車が欲しくなること自体は自然です。

しかし、みんなが欲しいと思うので、みんなが買います。その結果、車が多くなるのです。

しかし、その大事な車も3万キロも走れば、段々と飽きてきて、次の車、、、次の車へと、うつりゆきます。

車も100円SHOPで購入したものと、似たような流れになっていきます。すべて、捨てるもののために、私たちは労働の一体何割を割いているのでしょうか。

なぜ、私たちは働いても働いても貧しいのでしょうか。

それはゴミのためなのです。ガラクタを所有するからです。あの最初に暮したマンションも、結婚前に二人で暮らしたマンションも、新婚で新たな装いにしたあのマンションも、レンタルであったとはいえ、所有意識がモトにあります。

赤ちゃんが生まれたので無理して購入したあの家は、もろ、数千万円のローンを負った苦しすぎる所有そのものです、、、、、

後で思えば、みんなガラクタだった、、、そのために、死にものぐるいで仕事をしていた、、、自分のあの仕事は一体何のためだったのか、、、

捨てるべきガラクタのためだったとは思いたくはありませんが、違うといいきれる人ばかりではないと思うのです。

所有の罠に私たちははまりやすいのです。そしてどうせ捨てるガラクタばかりを集め、真の豊かさを一生体験することなく人生を終えてゆくのです。

それでは悲しいのではありませんか。所有を離れ、利用価値を重視すれば、まったく違う世界と生活が手に入るのではないでしょうか。

共有や利用価値というと、よく共産主義と誤解されますが、まったく違います。人から搾取するために、資本主義も共産主義も生まれたのです。

どちらも理想を餌に人を釣っただけで、最初から目的が違ったところにあるのです。

人の豊かさと幸福を目指した形の資本主義や共有主義はもちろんあるのですが、それが実現された試しはありません。

もしあるとしたら、すべてを与える資本主義とすべてを共有する利用価値社会です。これについてはのちの機会にお話しさせていただきます。

まず、利用価値を重視する共有社会になると、どういう生活のイメージになるのでしょう。そこから話したいと思います。

生まれた家はまず、素晴らしい家です。子供を生み育てる年代の両親はもっとも大きな立派な家に暮しているはずだからです。

家は大きく、安全で、自然な素材でできています。庭があり、木々や果樹がたくさんあります。子供は自分のところでとれた果物以外は珍しいと思うほどでしょう。

そんな立派な家でも購入したものではなく、すべて利用物ですから、今のお金で言うと、数万円程ではないでしょうか。もしかしたら無料かもしれません。敷地が350平米、家は120平米ほどでしょうか。それでも小さな方かもしれません。

大きな家が好きな人はもっともっとずっと大きな家に住む人もいます。所有価値は問題ではなく、利用価値が問題ですから、みえを張る必要もなく、利用しやすい家を選ぶだけの話しなのです。

やがて、独り立ちしたくなった若者は独り住まいの家を探します。そして探してきた家は、独り住まいに適した1LDKで、40平方メートルほどあります。窓から見える景色は素晴らしく、広いテラスに出て夏の夜は友達と食事や飲み明かす日々。これで3万円程度でしょうか。無料でも可能だと思います。

それでも厳しいと思う人は、もっと大きな家にみんなでシェアして暮らしても良いのです。

そんな豊かな気持ちでいれば、自然と恋人ができることでしょう。恋人と結婚することになれば、今度は新居探しです。

結婚生活にあった家、、、新婚時代にふさわしいと思う家を二人で探します。

2LDKの広々したマンションは、月5万円程度で借りられます。大きな窓から見える海や山は素敵で、星空を見るための屋根裏部屋では、毎夜、ロマンチックで熱い夜が訪れます。これも無料になるはずです。本気で利用価値が共有できたなら。

すべて所有意識がない社会ですから、作るためのコストがかかっていないのです。単純に良い家を作って貸し出すだけ。みんないい家なので、現代ほど個数は少なくても空きがない、理想の姿となり、十分に家は維持できるのです。

子供ができたら、今度はまた、自分が育ったような大きな家に移り、何人でも子供をつくればいい。

子供がいない夫婦は二人だけの素敵な家に住み、飽きたらまた変えればいいのです。所有でないので簡単。

みんなが捨てていたガラクタの分を利用価値の高い良いものに変えることで、こうした暮らしが可能になるのです。

今、日本で所有されている車はおそらく8000万台ほどあるのではないでしょうか。詳しくはわかりませんが、かなりの台数のはずです。

みんなが車を欲しがるので、車は安くなるかもしれませんが、いつかはガラクタになる車ばかり。

所有にこだわらなければ、皆ベンツの最高級クラスの車を乗りたいときだけ乗ればいいのです。

どこでも好きな時に乗り、好きな場所で乗り捨ててもいいし、気に入った車を月単位で借りることも年単位で借りることもできますが、利用価値という公共性から言うと、使いたいときだけ使うのがやはりベターなのです。

所有にこだわった結果、一生リッターカーにしか乗れないのと、最低でもベンツ、、、の暮らしは車愛好家にとってどんなものなのでしょうか。

あくまで所有にこだわる人は、それはそれでもちろん良いのです。しかし、いつも貧しい暮らしになってしまうので、おそらくその選択をする人は少ないことでしょう。

所有は病気なのです。ある程度の胃袋に蓄える食糧程度の所有は自然ですが、あまりに所有にこだわるのは、私と世界との関係性しか理解できない、一種の病気だと思います。

私たちの物、、、、というとき、教育が非常に大きな成果を上げるはずです。

利用価値とは、共有社会とは、すべてが自分の物であり、すべてが私たちの物なのです。

共有物が破壊されるのは、自分の物を壊された悲しみを誘い、共有物を修理するのは、奉仕であり、喜びなのです。人になしたことと自分になしたことが同じとなるのが、利用社会であり、共有の社会です。

もう一度言いますが、これは共産主義はまったくことなります。共産主義は、一握りの上のために、すべての物と動労を奪うシステムで、共有という概念を利用しただけの話しです。一部の独占社会であり、時代性に逆行しています。

資本主義もまったく同様です。大体、同じ人達がどちらも作ったので、目的が同じなのです。

所有から利用価値の社会へ、、、これは次の時代のカギを握っていると思います。

第二編としてまたさらに詳細なイメージをいづれ書かせてください。
 


次のイメージ 2016年09月27日(TUE)

  時代が押し迫ってきています。

この世を動かす原理は二つあります。ひとつは人や動植物や地球を不幸にさせて経済などを推進させる方法。

もう一つは、それとまったく反対の、人や動植物や自然を良くして生き方を推進させる方法です。

そして残念なことにこれまでの時代は前者である、人や動植物、地球を不幸にさせて金儲けと支配を推進させる方法を取ってきました。

それが今、ピークに至った印象があります。ネットなどで調べれば、この世で現在行われていることがいかにひどいかがわかります。目を背けずにぜひ知ってください。

人が不幸になればなるほど金儲けと支配の構築には良いのです。しかしそれだと誰も動きませんので、それで儲かる人や権力を持てる人を作り、特権を与えて全体を支配させるのです。そして全体方針として人や動植物、地球の不幸化を進めるわけです。

内容はひどいもので、犠牲にあっているのは、とくに子供と女性であり、もっとも弱い立場の人がひどい目にあっています。

それは不幸などというより、悪魔の所業といってもよいものです。いえ、完全に悪魔です。

しかし、物事には必ず作用と反作用があります。行ったことは、必ず帰ってきます。

悪魔的な所業はバレたらおしまいですので、どうしてもマスコミを手に入れておかねばなりません。

今、重要な多くの報道は全部嘘と言ってもいいものです。こうして築き上げられ、運営されている今の社会ですが、豊洲の問題にしろ、原発の問題にしろ、オリンピックの裏金の問題にしろ、世界に起きている迫害や人身売買や不要な拷問や虐殺などの根はすべて同じです。

もう知らないでは済まされない状況になっていると思うのです。一見日本は平和な社会に見られますが、人を不幸にさせて儲けるシステムはむしろ順調に進んでいます。

強い者に弱く、自分が儲かればいい、、、という情けない生き方が日本人にも身についてしまってきました。

その結果、皆が良くなればいいのですが、残念なことに因果応報の原理を身に受けねばならない状況になりつつあると思います。

原発の嘘と現状の嘘は、段々と私たちの体を蝕む可能性があるでしょうし、豊洲の問題にしても、なぜ食料を扱う場所を毒物が浸透しきった地にしたのか、、、そこの問題が出てきているにも関わらず、マスコミは一応は困ったというものの、まだ作ったものを使わないのも税金の無駄遣いという印象操作を行おうとしています。

作ったから使わないと損という問題と、イノチの問題がなぜ平行に論じられるのか、気味の悪さすら覚えます。

原発も同様ですが、それ以前に、日本では多くの食品添加物が許可されてしまい、日本人のイノチを巧妙に弱体化させていることに成功しています。

日本人が出てくる昔の動画と現在を比べてみれば、いかに巧妙に健康が脅かされ、すべての人がやがて病状をいだき、病院にかかり、苦しんで死んでいくかの手応えが伝わるでしょう。

ぜひ、昔の日本人と現代人の表情や体の印象を見比べてみたください。凄い変化だと思います。

すべてが嘘ですから、口先だけ良いことを言い、印象だけを良くして、悪魔的なことを働く、、、、これが今の時代原理です。そして反発する者には、容赦しない方向になっていく。沖縄を見れば露骨にわかることです。

それが1パーセントと99パーセントの対立を生むことになるのですが、日本はこの点でも巧妙にごまかされています。

ともかく、マスコミの印象操作の世界を世界だと思い、それが今の日本だと思い、それが私たちの生活だと思っていると、私たちは悪魔のベルトコンベアに知らないうちに乗せられ、気づいてみると、生きた屍のような人生と、慢性病や癌を与えられ、その上、死に物ぐるいで働かせられ、やがてすべての金も奪われて、死んでいくことになるわけです。

いえ、死んでも気づかないのかもしれません。なので、それでいいじゃないか、、、の考えもあるでしょうが、それは今のうちだけで、これからはもっと厳しい未来になっていく可能性もあるのです。

私はそうはならないと思っていますが、そうなる可能性はあるのです。

だから早く気づかなければダメなのです。そんなこと言ったって、どこが不幸かもわからないし、けっこういい時代じゃないの、、、と思う人もかなりいると思います。

しかし、若者や不利な条件で働く大勢の人は、社会の悪魔性にだんだんと気づいているはず。わからないのは、小銭をため込み、自分だけはどうにか生きられる、、、と思っている老年層の人、もしくは、この厳しい社会の中で、勝手に自分が勝ち組だと思っている人ぐらい。

しかし、小銭をため込んで余生を楽しもうとしている多くの老人でさえ、どことなく体が苦しい、、つらい、、、という人も多いのではないでしょうか。そういう人は本当の友達もなく、場合によっては子供たちからも敬遠されているのでは。失ったものに気づいてないだけなのです。

昔の動画を見てください。老人も老人らしい恰好はしていますが、よく見ると、皆健康そうです。今とは違っているのです。

こうした社会の悪魔性は弱い立ち場の人にだんだんと押し迫りつつあります。世界では日本よりずっと貧しい国が多くありますから、そこに暮らす子供や女性は本当にひどい状態にあると思うのです。

戦乱があればなおさらで、快楽殺人はもとより、人体が金になる恐ろしさを今の地球はもっているのです。臓器目的の殺人が快楽殺人という異常さをともなって戦乱の中で起きていることも、ネットでは見ることができるのです。

もう完全に悪魔の時代です。怖いのはそれと同じ原理によって、この世界も日本の運営もなされているという点です。同じ原理なのです。だから怖いのです。

日本人の健康よりも金儲けが優先、、、これが原発や豊洲問題の根底にあるわけで、それを巧妙にマスコミが隠す、、、、悪魔性を本気であやるということじゃないですか。

そうなんです。本気なんです。権力と金儲け、そして恐怖や脅しが一体化した上は、本気なのです。

しかし、行ったことは、必ずその人に戻ります。時間差があるからわからないように見えるだけで、作用と反作用は一体なのです。

私はマスコミの仕事をもう40年近く続けていますが、ゴシップ記事を書く記者を長年見てきて、どの方も人に見えない大きな独特の不幸と縁があることを感じます。

40年見てきて思うのですから、きっと何かあるのだと思います。人の不幸で飯を食ってはいけないのです。

自分のためにも、そうしたことは危険なのです。数年、数十年は持つかもしれませんが、きっとダメになります。

ダメなことをしたら、やっぱりダメになるのです。すぐじゃないからわからないだけです。意識がすべての現実を作るのです。病原菌でも感染してからの潜伏期間があるように、ダメなことにも、応報期間があるだけ。必ず自分に戻ります。

みんなが得することを考えなくてはいけないのです。みんなが幸福になることを考えなくてはいけないのです。それを実行する以外に私たちに未来はないのです。

次のブログでは、次なるイメージとして、10年以上前からイメージしてきた、所有から共有の時代について、具体的に語りたいと思います。


SHOPマドモアゼル・愛
グーグルマップに掲載されました。

東急大井町線尾山台駅 ハッピーロード沿い
13時―18時  日月お休み
 


本当の力は現象を元に戻す力 2016年09月19日(MON)

  あらゆる現象に対して、宇宙はそれを元に戻そうとします。当たり前に見える作用に対する反作用ですが、なんで反作用があるのか、、、考えてみれば不思議です。

あらゆる現象を元に戻す力である反作用に関しては、それがなぜなのか、誰もわかっていません。

ただ、そういう力がなぜか働く、、、というだけ。いえ、それよりも、反作用など当たり前のことで、その不思議さにも気が至らない、、、というのが本当のところだと思います。

風に揺れる葉っぱは、必ず、また元の位置に戻りますし、水を揺らせば波紋が広がりますが、必ず、また元に戻ります。

元に戻るのがあまりに自然なので、そこに力が働いているとはどうしても思えないのです。

しかし、元に戻す力が働かなければ、現象が元に戻ることはありえないのではないでしょうか。

形あるものがそこに存在することは、それを生じさせた何等かの力が働いていることは確実です。

そしてあらゆる形あるものは、いずれまた元の無に戻る運命があります。

すべての形あるものは、必ず元の状態に戻ります。それが作用、反作用です。

物も現象もすべて元に戻る世界を私たちはおり、そこで生きているわけです。

あらゆる物も私たち自身の存在も、必ず元の無にもどることになります。生じた物はすべて無に戻るのです。人も地球も宇宙もいずれは元の無に戻るのです。

存在の継続は、存在するものに、エネルギーが注がれているかどうかで、存在か崩壊かが決まります。

存続するためのエネルギーが枯渇していけば、存在するものは崩壊過程に入り、やがて形をなくし、消えていきます。

あらゆる物質がその定めにあるのです。人間も宇宙すら同様です。

無に戻す力が本当のエネルギーであり、そして無はすべてを生み出す満ちて満ちて満ちているものなのです。

その無が、あったものがなくなるという物的な量的概念でとらえているところに、現代の貧しさがあります。物がなくなるのは、反作用であって、無になるわけではありません。無に戻るだけであり、無そのものは常にあり、すべては無からしか生じないのです。

物が物から生じることはありません。母は子供を自分のおなかで育てたと思いますが、育ててくれた本当の力は無から来ていたのです。

無はすべてを生み出す本当の実であり、そこから生まれた目に見える世界も、やがては無に戻る、有限の世界です。

そのどちらに意識の足場を置くかによって、私たちの人生は大きく変わります。

物には何の力もない、、、、ということが大事で、物に力がないことを受け入れれば、私たちは輪廻する必要はなくなります。

私も本当にわかっているわけではないかもしれませんが、それ以外の答えを見つけることもできません。

では、物には何の意味もないというのか、、、というと、重大な意味があります。

私たちが生まれてきた意味もそこにあるのです。作用を起こす存在として、私たちは生まれているのです。人間にしかできない作用、自分にしかできない作用があるのです。

多様な作用がもたらす反作用によって、私たちは自分たちの世界が作られます。

不自然な作用の集積からは不自然な社会や世界がつくられ、自然な作用からは永遠性のある豊かな世界を作ることができます。

素晴らしい作用に対して、戻ってくる反作用は素晴らしいものとなります。

作用と反作用は一体ですから、必ず、出したものは戻ってきます。

何を戻らすか、、、の責任が作用にあるわけです。私たちにあるわけです。

声を出す、、、声は必ず、反作用によって消えていきます。しかし、その瞬間に反作用は何等かのエネルギーを戻ってやってきます。

ヒステリックな声が飛び交う家で育った子供は、その声が宇宙に消えていく際に訪れる本当のエネルギーを受けますから、そこにいるだけで、不幸です。

慈愛に満ちた声が、すべての人を癒すのは、声自体の力ではなく、反作用が素晴らしいプレゼントとなって、その場を美しいエネルギーに満ちた場にしてくれるからです。

そして、これらのエネルギーは決して計測することはできないのです。現代科学の考えで言うと、ヒステリックな声に満ちた家庭も、慈愛に満ちた声で育った家庭も、エネルギー的には何ら変わったところはない、、となるのですが、そんなバカなことはありません。

人間に影響するに決まっています。戻ってくるエネルギーが違うのですから。

人間には、美しい、本質的な作用を行う責任があるのです。植物や動物たちは自然なことをやりたいのですから。赤ちゃんだって、本当はそうです。段々不自然な作用ばかり行うようになっていってしまうのが、今の人間です。

人の顔は同じものがありません。体もありません。特殊性そのものです。だからこそ、その人にしかできない作用があるという証拠でもあるのです。

同じものを決して作らない宇宙。同じものを絶対につくらない無の創造性。これは多様な作用によってこの世を楽園にすることを目指しているからです。

有限の人間に無限をつくることはできませんが、無限を表現することは可能です。

そして、自然なエネルギーが永久的に注ぎ込まれれば、永遠性のある世を実現することは可能なのです。

圧が高い方にエネルギーは入ります。周辺圧よりも高くしていれば、エネルギーは入り続けますので、その物は崩壊することはありません。意識がもっとも強い圧なので、永遠性のない意識は世の終わりをもたらすことになりかねません。物がすべてだと思う意識は、物の終わりを告げることになります。

このことだけでも、骨が曲がっているからとか、胃が大きいからとか、小さいからとか、、という物質面でのアプローチだけでは、医学もとんでもない方向に行ってしまいます。

すべてをエネルギーの視点からとらえた方が実際に近いのに、形や量的なものの異変を異変と思うから、肉体への対処の医学になってしまうのです。

曲がった松を手術して直立にすれば、松は死にます。それと同じ発想で人間の体をいじられたらたまったものではありません。

シアトルスルーという一本の足が外側に曲がった馬が無敗を続けた年がありました。体の構造からは考えられないことです。

しかし、それもエネルギーの観点から言えば、決して不思議なことではないのです。

あらゆる問題は事象や形骸や物質の異変から生じるのではなく、すべてはエネルギーの不足によって起こるのです。

なので、エネルギーを補充できるかどうかで、その物が崩壊過程に入るか、存続に向かうかが決まります。

極めてシンプルです。

そしてエネルギーは無からしか訪れません。意識からしか訪れません。物には何のエネルギーもないのです。ですが、物を使って作用を起こすことは可能です。

その作用に対して、宇宙は反作用により、本物のエネルギーをこの地上と私たちにもたらしてくれるのです。

すべてはチューナー現象であると飯島先生はおっしゃいました。生きるものや存在するものは、すべて振動し、常にエネルギーを得ているのです。

振動すれば振動を止めようとする反作用のエネルギーがもたらされるからです。なので、すべての現象はチューナー原理なのです。

私が音叉に着目したのは、直観によるものですが、まさにチューナーは振動の作用を起こし、それによって、その振動を止めようとする宇宙のエネルギーを呼び込む装置であったわけです。

何もチューナーが良いという説明ではありません。あらゆる物はすべてチューナー現象によって存続しているということです。

大木の何万枚の葉は、風に揺られてそれぞれがそれぞれの周波数を発生させています。周辺空気との間に複雑なギャップを作ります。そのギャップはさらに他の葉の動きと重なり、影響し合って、より複雑なギャップとなります。

宇宙開百以来、一度としてまったく同じギャップはないのです。

大木の一生は何百年でしょうか。その何百年の一瞬たりとも、まったく同じギャップはないのです。同じ作用はないのです。そうして常に大木は葉の動きを通してエネルギーを吸引しています。葉のない冬には成長は止まるかもしれませんが、今度は大木の微振動によってより高度のエネルギーを得ているのでしょう。

現象が小さい方がよりエネルギー密度は高くなるからです。体を揺すれば誰でもエネルギーを得られます。大きく揺するよりも微振動は一層上質の作用になります。

禅の坊さんの境地なのかもしれませんが、うまく行けば、素晴らしい反作用をもたらすことを彼らはわかっていたのでしょう。

微振動からエネルギーが得られない人は、体を揺すり、金くれよ、、、などと親に向かいます。粗雑なエネルギーしか反作用によってもたらされないからです。

物質がすべてとの思いが強まるほど、荒い振動によってエネルギーを得るしかなくなります。

そして、その荒すぎる作用の副作用によって、人はやがて衰え、そして死んでいくことになるのです。
 


週末は大阪でセミナー 2016年09月16日(FRI)

  明日の土曜日は大阪でセミナーがあります。主催は日本サイ科学さんで、二年ほど前にも周波数と母音発声についてのセミナーをやらせていただいたことがあります。

今年は、春分図から見た今年の運勢の総括と来年の春分図から読み取る事柄についてです。そのためには、動きのある時局についての総括にならざるを得ませんし、それは大統領選挙の結果をふまえた来年の流れとも直結します。

さらに、世界の変化が日本に与える影響は大きいはずで、日米関係の変化、日ロ関係の進展など、この戦後の枠組みを変える大きな流れとなっています。

これらの流れは私はすでに前から読んでいましたが、読み以上の早い流れに今後なっていく気がします。そこらへんのあたりを時局としてお話しする予定です。

また、根本的な占星術の仕組みについても話してほしい、、ということでしたので、それについてもわかりやすく解説します。フリーエネルギーについては今回は時間がないのであまりできないと思いますが、基本原理についてだけはお話しするつもりでいます。

当日受付が可能だったと思いますので、もしお時間がある方はぜひいらしてください。

大阪科学技術センター 701教室
9月17日(土)13時半から17時
うつぼ公園内にあります
大阪市西区うつぼ本町1-8-4
会費 3000円

地下鉄四ツ橋線が便利です。
マドモアゼル・愛の名前も入っていると思いますが、なぜか本名で講演者氏名になっているかもしれません。

大阪方面にお住まいの方で、時局ないし占星術での来年の運勢に関心がおありの方はぜひいらしてください。

13時半からスタートしますので、多少前にお越しいただけると幸いです。よろしくお願いします。

ということで、土曜日は尾山台のSHOPマドモアゼル・愛には不在ですが、お店はオープンしています。

お店はただいま、オープンから4か月たちましたが、ミニ改造中です。商品棚を増やしてわかりやすくしています。

チューナーと麻服の二本立てでしたが、どちらもフリーエネルギー関連ですので、だんだんとフリーエネルギーSHOPに自然移行している感じです。

チューナーは二本の羽が振動し、その中間点に音の干渉状態が生じ、強くエネルギーを吸引しますし、麻の服は糸や布目が均一でないため、そこを音が通る、空気が通る際に異なる周波数が沸き立ちます。

異なる周波数はギャップをつくりますが、ギャップがあればそれを戻そうとする力が瞬時に働き、フリーエネルギーが訪れます。なので、麻をまとうと気持ちが良いのです。

このようにチューナーも麻もフリーエネルギーそのもの。パソコンの下に敷く麻布マットなど、新たな商品群も増えています。下着も麻がよく、トランクスやブリーフで股間を締め付けることは、本当によくありません。

ぜひ麻ふんどしパンツをご覧になってください。麻、チューナー、そして、最近増えつつある色々なフリーエネルギー製品。

懐中電灯にも色々なタイプがあり、カートで販売してないものがたくさんあります。これもぜひご来店して試してください。

あと、服の試着スペースを有効活用し、光エネルギー体験が全身でできるようにいたしています。

この評判は大変なものがあり、三日ほど続けるとかなりの手応えがあるらしく、こちらもおすすめです。一回10分程度の照射で1000円です。

その他、磁気サークルも評判は良いです。おひとりで10個以上お求めになる方もおり、心配になってお尋ねしました。

水道の元にお付けになれば、たったひとつで大丈夫ですよ、それだけで、流しもトイレもお風呂も洗濯も、水が変わるので、元につければたったひとつで大丈夫ですよ、、、すると、親類や知り合いにプレゼントするためだと、、、、ありがたいことでした。

MI磁気サークルをお試しくださることもSHOPでできます。

ゼロ磁場商品は非常に高価だというお話しをよくお客様から聞きますが、MI磁気サークルは球状の磁石で自然成形する力を利用しているため、単純ですが理想のゼロ磁場ができてしまうのです。

さらに、風の実験による空間づくりなど、SHOPの空気の違いを試していただけます。

あと、ただいま、棚卸しの結果、セミナーなどで大量に使用していた中古チューナーを半額程度の値段でSHOPにて販売中です。

すでに4セットの中古があったソルフェジオは一日で売れてしまいましたが、プレミアムや振動美人、初期にしか見られない、シリアルナンバー10番未満の柄の短い528ノーマルチューナーの中古もいくつかあります。

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自己治癒力、統合医療の限界 2016年09月12日(MON)

  現代の医療に問題があることは、医者自身が癌にかかった際に抗がん剤を自分には打たない、、というアンケート調査があったということで、有名な話しとなっています。

どこでどう調査したのか知りませんが、さもありなん、、との思い。

医療への不信は深く、その代わりに出てきたのが、統合医療や自然治癒力を高める方法です。

あれが効く、これがいいと、それは命がかかっていますから探す方も真剣でしょうし、それを使う方も真剣です。いくら高価でもお金に糸目をつけず、それを購入してしまう。

実際にそうした物や統合医療で治る場合もあるのでしょうから、それが悪いとは言えません。

また、自然治癒力を頼り、免疫力をアップして難病に立ち向かう人もいます。それもこれまでの医療にどっぷりつかるよりはまだましということも考えられます。

しかし何か違うのではないのか、、、という思いが私にはありました。

病気にかかるということと、それを治そうとすること、、、それは一体のことなので、病気は結果であるはずです。

すでに結果が出てしまったのが病気なのですから、結果を変えることは本質的に無理です。

たとえば、相場は、買いから入ったら、必ず売りで終えなくてはいけません。そうでないと取引は終了しません。

売りから入ったら必ず買いで終えなくてはならない。売りと買いは合わさってセットで一体だからです。

相場の世界だからというのではなく、あらゆるものすべては、この原理から逃れることはできません。

なぜなら、原因のない結果は存在しないためです。病気が結果なら、その病気を生じさせた原因が必ずあるはずです。

そこに思いを致せば、これまでの考え方の問題点、生活の仕方の問題点、人間関係や仕事など、色々な原因が出てくるはずです。

それを、単に運が悪かった、、、という病気の捉え方しかせずに、早く治して元の生活に戻ろうとする私たち。

癌になるには、癌を生んだ原因が、これまでの生き方の中にあるはずなのに、そんなことより早く治してまた元の生活に戻ろうとする、、、、、

原因と結果の法則からは、無茶な考え方なのです。一時的に治っても、また元の生活に戻ったら、また元の考え方や価値観に戻ったら、再発することは見えています。

病院の問題や医療の問題を捉えて、今の医療は悪いから、統合医療によって治そう、、、と、何としても治ることにしか頭が回らない。

自分だってもし癌になったら、同じように考えてしまうかもしれませんが、しかしそれではダメなのです。治りっこないのです。

原因があって結果があったのですから、もうセットで終えってしまっているものを、どんなに掘り返してもダメはダメ。

癌は結果ですから、受け止める以外にない。そして原因を探り、生き方、、、考え方、、、価値観を以前と違うものにする以外にない。

そのための時間を与えてくれるのが、癌の特徴だと思うのです。すぐに死なないで時間をくれる、、、ある意味ありがたい病気なのかもしれません。

そうなると考え方が違ってくるはずです。何としても治そうという考えは引っ込み、なぜそうなったのかの原因に意識が行き出す。

生還への道の始まりです。

統合医療や自己治癒力の限界も現代の医療と私はまったく同じだと思います。一見、新しくて魅力的に見えますが、東洋医療に頼れば、とか、体に良い食べ物を食べれば、、、とかいうことも、結局は治して早く良くなりたいという思いの延長ですから、基本は同じなのです。

結果が出てしまったものは、本質的には終えたのです。なので、結果をあれこれいじろうとすることは、間違いなのです。

結果は結果として放っておく以外にはなく、その原因を探って、今度はこれまでと違った生き方、これまでと違った考え方、これまでと違った価値観をもっていく以外にない。

自分のこれまでの生き方を改めて意識し、それを変更できたなら、新しい結果がやがて出てきます。

新しい結果は現在の癌にふさわしくないので、新しい結果に入れ替わる以外にありません。

癌は妙にいじらなければ、その程度の時間はきちんと与えてくれる病気であり、土橋先生は、癌は長生きさせるために生じる病気であるとおっしゃる。

その通りだと思います。

さて、病気の原因についても語らせてください。前述したように、間違った考え、間違った価値観、間違った生き方、、、それは確かにその通りですが、それを一言でいうと、間違った意識で生きてきた、、、となるわけです。

さらにそれを一言でいうと、フリーエネルギ-で生きている意識がなかったのです。

本当は誰もが、いつでもフリーエネルギーで生きているのですが、それに対する意識は人によって異なります。

赤ちゃんや子供は物事や現象を否定的に考えませんので、比較的にフリーエネルギーを得て暮らしています。

もっとも簡単な見分け方は、将来への不安に対する態度です。

赤ちゃんには将来への不安はありません。子供にもあまりありません。こうした不安は周囲に教えられるまで実は存在しないのです。

キッチンのパンがあといくつあり、姉がかえってくるとなくなるかもしれない、、、との将来不安は子供にはありますが、きわめて想像できる近未来の不安だけです。

それが中学生になり、高校生になり、、だんだんと大きくなるにつれて、あの学校に入らなくては、、、こうした会社に入らなくては、、、資格がなくては、、、
貯金がなくては、、、保険に入らないと、、、

大人になるに従い、未来への不安が増大します。

先日、本屋さんで、足元のおぼつかない老夫婦が、二人で必死に読んでいた本を見て私は愕然としました。

これからの株式投資、、、という内容の本。何に愕然としたのかというと、お二人ともかなり体調がすぐれないご様子で、今倒れて救急車で運ばれてもおかしくない様子。

将来の心配などより、今、目の前の信号をどうわたったらいいか、、、というような切羽詰まった危機がむしろ見えたのです。

この老夫婦の問題は未来の経済的なことなどであるわけがない、、、むしろ、このまま家に無事に戻れるか、その方が問題だと私には感じられました。

お金が減ることが、おそらく、命がなくなるかもしれない、、、という不安感に直結しているのでしょう。

そうでなければあのお身体で、お二人で本屋さんに来て、株式投資の本を探す、、ということはありえないと思います。

お金が減らなければ、死ぬことはない、、、増えれば、きっともっと生きられる、、、という信仰なのだと思います。

要するにフリーエネルギーで生きていないのです。フリーエネルギーを信頼していない人は、たった一つでも自分に不利なことがあってはならないという信仰をもっています。

損はできない、、、不利なことは受け入れない、、、得することは、どんな小さなことでもチャンスを逃したくない、、、

そういう人が病気になったらそれは大変でしょう。良い病院を探し、名医に執刀を頼み、権威あるもの総動員で難局を切り抜けようとする、、、、

もし癌になったら、最新の方式が最高のものだと心から信じてしまい、いくらでもお金をつぎ込むことでしょう。

一方、どこかでフリーエネルギーを受け入れている人は、ああ、これまでか、、、仕方ないか、、、と最後には何かを受け入れる。

奇跡が起きるのはそういう時以外にありませんので、あきらめ、これまでと違った意識に至ると、不思議なことが起き始める、、、

それにはきちんとした理由があります。フリーエネルギーが入るからです!

本当は、お金の力やご飯や体力で私たちは生きているのではないのです。どんな際にも、フリーエネルギーによってしか、私たちは生きられないのです。

物には何の力もありません。物はエネルギーであるとの物理の法則は違うのです。物は結果であり、そこにはエネルギーはありません。

人間が作った人工物にも、組織にも、現象にも一切の力はありません。

意識からしかエネルギーは訪れないのです。さらに言えば無は最高のエネルギーです。

古来から無を感じさせる音や芸術や舞踏や立ち振る舞いが最高のものだったのは、無と一体、すなわちエネルギーの世界に触れられるからなのです。

無を目指さない芸術はすべてまがい物です。

人は肉体を死ねば無に戻るのです。人以外、あらゆる物質も同様です。

無がすべてなのです。その無を、あったものがなくなるという物質的な無を唯一の無としたところに、人類が捕まった罠があるのです。

無はすべてであり、本当のふるさとであり、すべてを自由に生みだす世界であり、この物質の世を作るのも、すべて無から来るエネルギーによります。

癌になったとき、、、まっ、仕方ないか、、、と多少なりとも無となれたら、奇跡はそこから始まるのも、きちんとしたエネルギーの法則にかなっているからです。

もちろん、このことを今の科学では認めるはずがありませんし、信じる人も少ないと思いますが、無からエネルギーが訪れる原理を応用すれば、意図的にエネルギーを呼び込むことが可能であり、進んだ宇宙では、それを行っているはずです。

ただその大本には、意識があります。フリーエネルギーの意識があれば、全体と自分自分が一体という意識があれば、私たちは素晴らしい世界を作ることができるでしょう。

進んだ宇宙人がいるかどうかは知りませんが、少なくとも、遺伝子を操ったり、臓器を入れ替えるような形での長生きは、フリーエネルギーとは似ても似つかぬ方向ですので、それは優れた宇宙人とは違うことがすぐにわかってしまいます。

物には何の力もないのです。物は結果です。新しい結果を意識活動によって作る発想があれば、すぐにでも素晴らしいアイデアや発見が相次ぎ、あっという間に私たちの時代は変わることでしょう。

無からいかにしてエネルギーを得るのか、、、簡単にできることなのです。ただ、多くの人の意識が邪魔をするでしょうから、目の前で見ても、聞いても、本当に理解してくれる人は少ないのです。

本当にもったいない話しです。無からエネルギーを得ることは実は簡単なのです。

色々な方法があります。ただ意識が閉ざされていると、無そのものを否定し、無と思う幽界のお化けのように人は生きてしまうのです。

あったものがなくなる無、、それがすべてだと思えば、我先の世界になるのは仕方ないでしょう。

しかし事実は違うのです。あったものがなくなる無ではなく、ある物とある物で無の状態をつくれば、エネルギーは得られるのです。

無がすべての出どころであり、私たちの本当のふるさとなのです。ありてありてありてある無。
 


秋になって思うこと 2016年09月07日(WED)

  政治の世界も秋風が吹いて動きが出てきています。具体的な動きというより、不思議な思惑が揺れ動きだした印象。

まず、トランプ氏が当初リードしていると思っていたら、8月になると、クリントン氏が10ポイントもリードしていると、、、えっ?そんなに差がつくものかしら、、、と思っていた矢先、今月に入ると、突然、今度はトランプ氏が逆転と。

本当に調査しているのかしら、、、と思わせるような変転劇です。しかし、ここにきての逆転ですから、大きくトランプ氏が躍進し、トランプ大統領の可能性が大になりつつあります。

そうなるとアメリカのこれまでのやり方、、とくにネオコンを中心とする新保守主義も新自由主義も遠い彼方に行ってしまう。

日本の政治家はこれまでネオコン一辺倒の政治でした。自分の方からこれをやります、あれをやりますと、日本人の利益を差し置いてまで、ネオコンの機嫌取りを行うことが習慣でしたが、これからどうするつもりでしょう。

他の勢力もあまりに情けないため、トランプ氏が大統領になったあかつきには、新たな日米関係を構築する、、、というものを持つ政治家がいない。

ネオコン御用聞き一辺倒だったこれまでの政治家。トランプ体制はどうするつもりか。

そこに湧いてきた突然の安倍氏のロシア訪問。予定によると12月にはプーチンが山口に来るという話しまできまっていました。

こうした大変化は、突然の親ロシア政策に日本が変化する可能性があると、私はこれまで語ってきましたが、いよいよ動きだした感があります。

ロシア&中国のリーダーシップ論から、私は中国を抜かしたロシアリーダー論で近未来を読んでいたのですが、本当にその方向に行っている気がします。

というのは、アメリカのオバマが先日中国の飛行場において、スタッフがおお立ち回り寸前の事態になったというニュースを聞いて、なるほど、、と思った次第。

通常はこうしたことがあったとしても、まずニュースになるはずがありません。それが大きく取り上げられ、オバマも説明をしたということは、何等かの意思が間違いなく働いた出来事だったということです。

アメリカが中国をけん制し、近未来の衝突を目指して、中国無礼の絵を作ろうとした、、、とも見えます。

ただ内容をよく見ると、アメリカがそうした絵をつくろうとしたのではなく、中国サイドが空港の治安を理由にアメリカに対して威圧したというのが、やはり本当だったのではないでしょうか。

あんた、何してるの、、この飛行機はプレジデントが乗っている、フォースワンなのよ、、、、

それがどうした、ここは中国なんだぞ。

このやり取りが伝わること自体おかしな話しなのですが、世界に伝わってしまった。

さらにそうした印象を深める事件がフィリピンで起きたのです。フィリピン大統領とオバマ大統領の会見が、フィリピン大統領の非礼な発言によって中止になったという出来事です。

最悪のスラングをオバマに投げかけたのが事実だとすると、これはすごい事件です。そして何より、中国で恥じをかいたオバマとアメリカが、すぐに今度はフィリピンにおいて、罵倒された、、、、印象としては最悪であり、同時にクリントン氏リードだったはずが突然、トランプ氏リードの報道に変わった、、、

これで何もなかったということはありえないと思うのです。世界秩序の大本に何等かの変化があったと考えるしかありません。

こうなる以前からおかしなことは起きていました。まず、あれだけアメリカ寄りだったトルコとサウジアラビアの態度が、180度突然変わってしまっている。

領国とも、アメリカと運命を共にするつもりだったところ、突然、裏切られたことを知ったのだと思います。トルコではクーデターが起こり、それはアメリカが絡んでいたことがばれたのでしょう。

トルコの大統領が実は仕組んだクーデターであり、エルドアンの体制を維持するために反対派を抑え込むために起こした、、、という考えを持つ人もいますが、それは違うと思います。

やはりアメリカが仕組んだものだったと思います。クーデターを完全に抑え込む前のエルドアンの顔を一瞬ニュースで見ましたが、確実に血の気が引けており、命の危険を感じている顔でした。

自分で仕組んだクーデターでないことを私はすぐに確信したのですが、裏にやはりアメリカがいたということで、エルドアンとしたら、裏切られた思いがあります。

サウジでも似たようなことが起きていたのでしょう。

このように、最後の最後の砦であったトルコ、サウジを失いつつあるアメリカ、、、重要情報が彼らに渡ったのですが、それは間違いなくプーチンが絡んでいると思います。

というのは、クリントン氏が癇癪を抑えきれずに言うには、トランプ氏の裏にはロシアがいると。

911の本当の情報も、クリントン氏のメール内容も、すべてロシアが抑えており、世界で行って来ていたアメリカの裏工作をロシアが使い始めたわけです。

アメリカのこうした突然の醜態の裏には、確かにロシアが漏らした秘密情報があったということで間違いないのでしょう。

クリントン氏はネオコンとズブズブの関係でしょうから、叩けば秘密がたくさん出てきます。

ロシアが情報戦に現在は勝っていることが伺えます。亡命したアメリカ情報局職員の存在も大きかったと思います。

アメリカは最後の手段としては、中国との緊張を作り出す形にもっていく可能性が高くなりますが、果たしてそれもうまくいくでしょうか。

こうした流れの中で、日本もその立場を突然変更する可能性があるとなっているわけです。

安倍氏はシリア空爆の際から、ロシアよりの態度を貫いているのが、私は不思議でしたが、安倍氏を背後から動かす人がもしいるとしたら、ロシアよりの姿勢を一貫して作らせていたのかもしれません。

安倍氏がプーチンに走り寄って握手することが半年ほど前にありましたが、安倍氏の親ロシア姿勢は実はかなり以前から一貫していると私は見ています。

ただ安倍氏を擁立する日本会議や取り巻きの人達は、確実に反ロシアであり、ネオコンよりでしょう。

日本という国は、本当に親アメリカだったのでしょうか。それさえも最近ではわからなくなっています。表向きは間違いないことですが、裏ではいろいろなアメリカからの独立に向けた動きが隠れてきっとあったのでしょう。

123便の事件といい、日本には新アメリカ一辺倒では語れない秘密の部分がおそらくあるのだと思います。

そうした流れの総決算とも言える動きにつながるかもしれない動きがこれから出てくるのでしょう。

最後には非常に劇的な形になるのかもしれませんし、何とも戦わずに新しい道を日本が進みだす可能性もあるのです。

子供時代からとらわれの身だった徳川家康が、桶狭間で今川義元が死ぬと自由の身になり、徳川家の柱となって戦国を勝ち残り、ついには天下人になったのです。

日本がそうなるとは言いませんが、戦わずして勝つやり方なら、次は日本的な時代原理をつくれないとも限りません。

いずれにせよ、アメリカがこれまでやってきた秘密が今後ばらされる方向に行くことは間違いありません。その中で、アメリカ大統領選挙があり、おそらくはトランプ氏が大統領になることで、日本も日本独自の道と独立を目指さねばならない状況になるのです。

日本もその時に変わります。その変化はすでに出始めています。変化のベースに上記した内容があると思えば、複雑に見える変化も理解できるようになる場合もあるでしょう。

昨晩はフリーエネルギーセミナーを終え、私も初めて釘本ひろみ先生のお話しをきちんと聞く機会を得ました。

本格的に聞いた釘本先生のお話しは、本当に感動的でした。本質を飾り気ない言葉で淡々と語るのは、飯島先生を彷彿させるものでした。

外見よりも中身、現象よりも本質、、、そのことが一つ一つの言葉に現れていました。

土橋先生のお話しも本質的だったので、よくフリーエネルギー原理が伝わりました。

私は実践的なフリーエネルギー実験をする予定でしたが、時間が少なくなったのと、本質論の重要性の前で、技術的な光実験はあまりできませんでした。

光干渉を利用したフリーエネルギー実験はまた色々な機会があるたびに紹介することにいたします。光教則本を作る考えもあります。

いらしていただいた皆さまのお顔の輝きは素晴らしく、本物に触れられた喜びが会場をおおっていた気がしました。本当にありがとうございました。

下記の動画はSHOPマドモアゼル・愛に作った光体験ルームです。関心がある方はぜひいらして体験なさってください。SHOPマドモアゼル・愛は、東急大井町線尾山台駅下車 ハッピーロードという商店街沿いにあります。駅から200メートルほど行った左手。火曜から土曜の毎日午後1時から6時までオープン。日月はお休み。



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明日はフリーエネルギーセミナー 2016年09月05日(MON)

  明日は渋谷でフリーエネルギーセミナーがあります。この二年、セミナーがとても多かったのですが、本拠地を東京に移してからは、ほとんどセミナーを開く時間がとれませんでした。

大変久しぶりのセミナーです。おかげ様ですぐに定員に達しましたが、ワークショップの動きなどを考えて会場を広くしました。同じビルの大きな部屋に移動した形です。

それに合わせて定員も急きょ多くしましたが、それでもまだ余裕があるということですので、当日受付も可能です。ただし、夕食の準備はすでにお申込みいただいている方のみとなってしまいます。それでもかまわなければ、当日受付もありますので、お越しください。

すでにお申込みいただいています皆さまには、夕食のお弁当の用意があります。会場は午後5時からですので、多少お早目にお越しいただき、ゆっくりとお弁当を召し上がってからセミナーを受けるスタイルも歓迎です。

お弁当は幕の内、牛肉弁当、サンドイッチと用意しましたが、ご希望順にお渡しいたしますので、ご希望に沿えない場合はご容赦ください。あと、ペットボトルのお茶ですが用意があります。

明日はテネモス財団理事長の釘本ひろみ先生、土橋重隆医学博士、そして私の三名の講師によるセミナーです。

時代はいずれフリーエネルギー時代に入ることは間違いのないことです。そして大事なことは、フリーエネルギーとは何か、、、ということで、エネルギー不変の法則が物理の定義ですが、その不変のエネルギーはではどこから出たのか、、、には言及できません。

もともとあった、、、というだけです。しかし、それすらも違うのです。エネルギーなど物質にはない、、、という観点にたったフリーエネルギー物理がやがて現実になってくると思います。

物には何の力もない、、、という飯島先生のお言葉をかみしめてから、私の考えも大きく変わりました。

物質を生み出す大本こそがエネルギーの本体であり、物質は結果に過ぎない、、、このことが本当にわかることで、むしろ自由に物質を扱うことができるようになるかもしれません。

物には何の力もない、、ということは、肉体も物ですからその通りです。レントゲンに映る病変、、、検査結果によって確かめられる数値、、、果たして、それが本当に現実を映し出すのでしょうか。

物には何の力もないとしたら、物の変化にそんなにおびえる必要もなくなるのではないでしょうか。

骨が曲がっている、、、だから動きにくいのでしょうか、、、臓器が肥大している、、、だから機能が衰えているのでしょうか、、、骨が曲がる理由、、、臓器が肥大する理由がその前にあるはずです。

曲がりくねった松の木を、手術によってまっすぐにしたら、おそらく松は死ぬか、おかしくなってしまうでしょう。

大体、曲がりくねった松をまっすぐな松にする必要などないのです。

しかし、私たち人間は、こうあるべき姿という理想にだまされ、曲がった松を切って治すようなことを自身の体にしがちです。

物にこだわるから本質がわからなくなるのです。物は結果であって、現象も同様です。

問題は形ではなく、エネルギーなのです。すべての問題はエネルギー不足によって生じるのです。

すべての問題の解決はですから、エネルギーの充足によってなされるのです。

そのエネルギーは物からは来ない、、、無からしか訪れないのです。

条件として無をつくるために物を利用する。そして物同士が拮抗したりギャップなどを埋め合わせる際にできる無の状態を作ることで、フリーエネルギーは得られるのです。

明日のセミナーでは三名の講師による話しと、実際にフリーエネルギーを得る条件づくりをテーマに実践も含めて行います。

しかし、2本の懐中電灯の光を同時に同じ部位に照射するだけでエネルギーを得られるなど、とくに学のある人は信じようとしないでしょう。

まだまだフリーエネルギーが認められるには長い年月というか、人の意識の変化が必要になります。

なぜなら、計測できない無に限りなく近い有、数値化できない働きが、本当のエネルギーであるなど、信じようとしても無理かもしれません。数学的に証明できないのですから。

しかし、誰が何といおうと、物事は1からではなく、0から始まるのです。1.2.3.というからわからなくなるのです。本当は、0.1.2.3でなければなりません。

ん、、という起点の無が必要なのです。この世に偶然にできるものはひとつとしてありません。すべて、存在をもたらす起点となる無があり、それは、ん、であり、0なのです。

どこかに行こう、、、として、人は体を移動させるのです。絶対に行かないと思って、そこに行く人はいません。行きたくなくても、どこかに、行ってもいいかな、、、という思いがなくて、絶対に行かない、、とおもいつつ、行くことは絶対にありません。

すべて、無から出発しているのです。ん、、というところから、すべては始まっているのです。

それが無であり、正しく言うと、ん、という無から始まるというより、ん、という無しか、現実を創造する力はないのです。

すべて、ん、という無から始めたことでない解離、物にもならず、この世に現出せしめることはできない。

ん、とは意識活動にほかなりません。意識活動から始まるものが、すべてを作ったのです。そして反対に、反意識活動、、、ただ、偶然のように行っていることや、やらされていること、常識として自身のうちからでていない行動によって、すべての物を崩壊に導き、終わらせていくのです。

ひるがえって、現代は、ん、から始まっているのでしょうか。私たちの生活や活動は、本当に受動的で作業にほかならないのではないでしょうか。作業は創造に遠い道です。

作業が多くなれば、実は世界は崩壊化を早めるのです。マニュアル主体の会社は必ずつぶれます。時間の問題です。限定された範囲で力の世界をつくるだけで、ん、から始まるものをシャットアウトするからです。

作業がうまい人が出世し、世界を指導する、、、怖い話しなのです。ん、から、無から始めようとしない社会がこれから崩壊に入ろうとしているのです。

なを、明日のセミナーの準備のため、明日のSHOPマドモアゼル・愛は、明日の火曜日はお休みとなります。臨時休業となりますので、どうかお間違いのないように、よろしくお願いいたします。

フリーエネルギーセミナー
9月6日午後6時より  当日参加 12000円(お弁当の用意ができないため、お弁当は付きません)
場所 Ts渋谷アジアビル会議室 501
渋谷区神南1-12-16 アジアビル501
渋谷駅を降りて公園通りの方に進みます。公園通りに入る道は斜め左方向に上っていきますが、曲がらずにそのまままっすぐ100メートルほど行った左側にあります。

当日参加ご希望の方は6時前にいらしてください。

SHOPマドモアゼル・愛
9月6日火曜日は、臨時定休となります。
 


吸引サイクルと崩壊サイクル 2016年09月01日(THU)

  フリーエネルギー原理の説明が続いていて退屈をお感じになられる方も多いかと思いますが、今回はわかりにくいと言われる、吸引と崩壊のサイクルについて、前述の内容に付け加えて説明させていただきます。

呼吸と同じようにエネルギーの流れにも吸引と崩壊の二つの流れ、サイクルがあります。飯島先生は崩壊という言葉はお使いにならず、放出サイクルとおっしゃる場合が多かったと思います。

放出も崩壊も同じとお考えください。
ギャップを元に戻そうとしてエネルギーが注がれる際に放出サイクルからスタートするのか、もしくは吸引サイクルからスタートするのかは、重要です。

私の言い方になりますが、意識から出発しているものが吸引サイクルであり、現象を受け取るものが崩壊サイクルです。

命は波動であり空であり無でありますが、イノチは常に振動しています。ただその振動は最小の振動であり、計測できないゆえに学術的には無と言わざるを得ません。

その無からエネルギーが訪れるのです。無にあるものは、無ですから、有限のものではありません。意識は無に属しますので、無は意識と言ってもよいのです。

創造のサイクルはすべて無からスタートしますが、簡単に言うと、意識からスタートすることになります。

しかし、実際の私たちの世には、意識からスタートするものと、結果からスタートするものという、二つの方向性が出てきます。

朝起きて、ああ、仕事に行かなくちゃ、、、となれば、それは崩壊のサイクルの中で生きていることになります。

朝起きて、さあ、きょうは何だったっけ、、、会社に行って、まず、あれをやろう、、これをしよう、、、という姿勢になれば、それは吸引のサイクルの中で生きていることになります。

あくまでも例ですが、決して的外れではないと思います。朝を例にしてみても、一日の自分の生き方のスタンスが、やらされてる風か、もしくはやってる風かで、崩壊か吸引かが決まります。

あくまでサイクルですので、呼吸のように、吸引と崩壊は起こるのですが、どちらが先かによって、自身を取り囲む意識場が違ってくるのです。

朝起きて、ああ、、、いやだな仕事か、、、という場合でも、まずごはんを食べて、、、、、と次に思い出し、そうだ、好きなタラコがあったっけ、、、、となれば、、がぜん、意識が自分のペースになってきますので、崩壊のサイクルの中にあってもどうにかそうした前向きなものに従って体を動かし、会社に行ったりすることができます。

しかし、朝ご飯のタラコも、通勤途中にである魅力的な異性も、ついに前向きな意識にならないとなると、崩壊のサイクルの中にどっぷりつかり、ついには体を動かすこともできない、一般に言われる鬱を引き起こす場合もあるでしょう。

病気になる人もいれば、やけになって生き方を踏み外す人も当然出てくるでしょう。

逆に吸引サイクルからスタートすれば、朝起きて、そうだ、あれをやろう、、これをしよう、、、とかなり前向きになるわけですが、その中でも、あっ、冷蔵庫のタラコがなくなっている、、、ということがあっても、まっいいか、、、と、本体に影響を与えることはなくなるわけです。

卑近な例になってしまったかもしれませんが、このように、生きる姿勢に伴う意識が、放出サイクルから始まるのか、吸引サイクルから始まるのかによって、こうした生き方の姿勢が決定されてしまうでしょう。

では、この崩壊か吸引かを決定するものは何か、、、ということですが、それが意識圧であるということです。

私たちは神であり、創造者なのです。自身の意識圧が作ったギャップを埋め合わせるエネルギーの到来は、吸引サイクルになります。

物との認識による意識は、人の作った意識に従いますから、崩壊サイクルからのスタートになります。

この崩壊と吸引は、小さな出来事の一つ一つの決断時にも表れますが、もっと大きな自身と世界をどういう関係でとらえているか、、、、という世界観と関係します。

この世は物質で、すでにあるものに従う、、、という意識の前では、常に崩壊サイクル優先となります。

物質は結果物ですから、誰かの作ったものです。会社の社長でもいいし、リーダーでもいいし、国家の指導者である場合もありますし、宗教という神が相手の場合もあるでしょう。それらが創造者であり、あなたは奴隷になります。

いずれにしても、すでにあるものに従う意識は、崩壊サイクルから始まるエネルギーのスタイルになります。

これに対し、自身の意識からスタートするものは違います。すべては意識から生じるのです。どんなに具体的で物質的なものであっても、取り組む際の意識次第で仕事が違ったものになるのです。

会社に行って仕事をする、、、会社は自分の会社でもなく電車も人の電車に乗る、、、それ自体は当然です。

しかし、その会社に行って、仕事を、通勤で電車に乗ること自体の意識が自身のものかどうかということです。

やらされている、、、というのでは、外部が重要視されてしまっています。

やってる、、、というのでは、自身の意識が重視されています。

これによって、同じ仕事をしても崩壊が進む人と、吸引が進む人に分かれるわけです。

同じことをするにしても、一度、自分の中に入れて、自分のものとして取り組めば、そのサイクルは吸引になります。

ひふみ神示には、これから人は毒を食べるようになる、、、というようなことが書かれていますが、それでは大変なので、すべてを神にささげろ、、、一度ささげてから食べろ、、、ということをすすめている。

神に捧げれば、それは物ではなく神からのゆずり物となり、毒もなくなる、、わけだと。これはまさにサイクルを変えることと同じなのです。

同様に、私たちも、まず、何をするにしても、自身の意識の中に芽生えた新しい思いからスタートすれば、吸引のスタートになります。

その姿勢で生きていれば大丈夫なのですが、どこかで、この世的な力を優先させ、物を生み出す力よりも物自体を優先させる意識に至ったとき、エネルギーパターンはパタンと崩壊サイクルに入ってしまうのです。

逆に、崩壊サイクルからスタートした姿勢でも、どこかで、もういいや、、、もうやめ、、、死んだってもうこんなことやだ、、、というような、物や実態から来る意識とは異なる無の意識地点に戻ったなら、その時からその人は吸引サイクルに変化するので、すべてが良くなっていきます。

物に従うのか、、、物を所持し、物の力を見せつけるものを最大のものとしていきるのか、、、小さくとも自身の中にある意識からすべての事柄を生み出すのか、、、その違いが、吸引と崩壊の違いです。

現在は残念なことですが、多くの人が崩壊のスタイルになじんでいます。なので、地球自体が危なくなっているのですが、少なくとも金融の不自然さは近いうちに崩壊する以外にないでしょう。自然が崩壊を始めたらこれは大変なことですが、十分にその可能性はあります。

不自然な人間の行いによることが唯一の原因です。けっきょく、多くの人の意識が物信仰の崩壊から物を作る原因の世界の意識に変化しない限り、やはり無理なのです。

吸引と崩壊のサイクルはまだまだ例を挙げ、色々な角度から今後も語りたいと思います。


お知らせ
MIチューナーの進捗状況についてのお知らせ

MIチューナーのご予約をいただいております皆さまへ、発送の進捗状況についてお知らせ申し上げます。

8月中旬から下旬に発送する予定でおりましたところ、8月31日現在、チューナーの入荷が遅れております。お待ちいただいています皆さまには、大変ご迷惑をお掛けする次第です。

MIチューナーはニチオン製の高品質チューナーですが、人の手によるところの多いもので、一般に市販されているプレスしたままを製品化するチューナーと著しく違っております。

一本一本に手作りの工程があり、とくに最終チェックはニチオンの天才的な職人の個人的なもので、又の部分が光って筋が入っているものが多くあります。

それは最終チェックで又の部位を削り取った傷後で、極めて高度な業であり、ニチオンチューナーが世界一といわれる所以でもあります。

こうした天才的な職人が現在入院中でおります。

そのため、製品の納品が一ヶ月は遅れるということになり、9月中には大丈夫とのお話しを得ております。

お待たせした上にさらに一ヶ月ほど期間が伸びることになりますが、どうかお待ちいただけましたら幸いに存じます。

他の体制によるチューナーも世界のニチオンのものでまったく問題はないのですが、MIチューナーの伝統は最後まで守り続けたいと思っています。

       MIチューナーご予約の皆さまへ    
                   
   2016年8月31日  
                              マドモアゼル・愛


現在お待たせしておりますチューナーは下記となっております。

鏡面仕上げノーマルチューナー528Hzの100番目以降にお申込みいただいた分
ノーマルチューナー528Hz
エンジェルチューナー
ソルフェジオチューナー6音セット

以上です。
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