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| ■ 一陽来福 鬱によく効く生き方 New! |
2012年02月05日(SUN) |
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鬱で悩む人が多い。国や社会の上に立つ者にあまりに慈悲がなく、その流れが末端まで行きついた今の時代で、鬱にならないほうがおかしい、、、とも言えるだろう。
しかし、鬱になった人は、それが自分独自の問題であり、自分の弱さから来ていると思っている。
確かにそういう未熟な面もあるにはあるのだろうが、自分のせいにしても治るものではない。
鬱になる原因には、必ずと言っていいほど、実はずるい人に使われている、、、という面がある。しかも鬱の人はそのことに気づかない。気づいても、その怒りを相手に出さない。
正当な怒りを抑え込むと、人はどんな人でもやがて鬱となる。
ずるい勢力はもっともらしい理想やスローガンをあげて問題はさも鬱の人にあるかのように見せようとする。
スローガンやもっともらしい理想ほど気味の悪いものはないと思う。911以降、スローガンともっともらしい理想論によって、罪のないイラクを攻めたのだから。
とにかく豊かな、手ごたえのある人生を過ごしたいなら、誰がつくったかも知らぬスローガンなど信じないことに限る。
手ごたえのある、実感のある豊かな人生とは、では何か。それは自分の求めるもの、自分が信じるものに自信を持つしかない。しかし、ほとんどの人は誰かがつくったスローガンを自分の考えだと勘違いして生きていく。
そうやっていくと、自分のシンが持てないだろうから、容易に鬱になる。
人には他人を幸福にする責任などない。自分を幸福にする責任はしかしある。皆が幸せならば全員が幸福になるのだから。
もっと人のために、他人のために、、、というスローガンを出す者は、その者にとって好都合だからにすぎない。そういうずるい人の犠牲になる者が鬱ということだ。
鬱になる人は、自分のための時間を生きていない。自分のための活動をしていない。こうせねばならない、、、という意識で体と心を動かそうとする。
しかし、それでは本当の喜びにはつながらないから、すぐに挫折し、疲れる。
多少元気が戻ると、また、新たなスローガンを見つけて、そうだ、がんばろう、、、と無理をしてしまう。そしてまたダメになる。
私はよくラジオの人生相談で、ずるい、、、という言葉を使うと言われたことがある。自分では意識していないが、おそらくそうなのだろう。
人間関係も国家と国民との関係においても、どちらかが不幸になる際には、必ず、相手側のずるさが絡んでいるから、そのことを重視する。
鬱とは、他人のずるさに自分をささげてしまい、その怒りすら閉じ込めたこと。それ以外にない、とも言える。
そんな状態で年間1000時間も残業を続ければ、過労死に近い状態になる。5年つづければ死ぬらしい。
しかし、自分で仕事をやっている人、独立して、それが楽しくて仕方ない人は、1000時間程度の残業なんて朝飯前である。多少の無理をしてもかえって健康になる人だっているだろう。
要するに、ずるい人を自分の弱さから受け入れたら、自分の人生を人は送れなくなるということだ。
日本人はいま、日本がずるい人たちによって運営されているから、悲劇が絶えない。多くの者が鬱となる。
なんで本日は鬱のことなど語るのかと言うと、昨日が立春で一陽来福となったからだ。
一陽来福とは、冬至に始まったすべての活動停止の時期から、ようやく春の気配が芽生えだす、立春となるということ。
これは鬱の治し方にも通じる考え方である。鬱になったら、一陽来福の考え方でいけばいい。
まず、一切の動きが止まる冬至。鬱で言えば、これがまったく何もできずにただぼーっとしているような最悪期。頭の回転はストップし、何もできない状態。
冬至もそうだから、この際は寝ていればいい。何もしない方がいい。45日もそうしていれば、いやでも立春がやってくる。
鬱になるとあせって、45日以内に無理してあれこれやろうとするから、中途半端になる。一カ月半くらい、寝ていてもいい。その方が持ち直しが早いからだ。
人生の一時期、わずか45日程度、何もせずに過ごしてもいいじゃないか。うるさいことを言うやつからは、物理的に離れればいい。
45日すると、何か芽生えてくる。そうなったら、無理をせず、一日、何かひとつだけを行う。一個でいい。
ちゃんと歯を磨く、、、きちんと顔を洗う、、、そんなことでいい。心を入れて、一個だけやる。それだけ。
はい、次の日は今度は二個やる。もっとやりたくなってもダメ。二個やる。心を入れて二個やる。
次の次の日は三個、翌日は四個、さらに次の日は5個。
ここまで来ると、もう一般健康者よりも意識が上に立っている。たった5個で上になる。
一般人の中に、一日に5個のことを心を入れて行っている人が一体どのくらいいるか。
鬱のおかげで、行動に心が伴うこととなり、45日程度の遅れは数百倍になって戻ってくる。
スタートにインチキがないことがどんなに大切か。鬱のリセットではそれが可能になる。ありがたいことである。
立春になってもまだ真冬の寒さであるので、鬱の人も同様である。5−10個も心を込めた行動ができたとしても、まだまだ生き馬の目を抜くような社会の復帰では当然もたつく。
そして他人の価値観や会社のスローガンに負けてしまうだろうから、45日プラス、一日一個の行動を増やしていき、30日もたてば、もう大丈夫である。
合計、75日。一足飛びにやろうとしなければ、きっと素晴らしい復活ができる。
目標はみんなのためにでも、、、会社のためにでも、、、また、おかしく見られないためでもなく、自分が心を入れて行動することができるかどうか、、、この一点を注視していく。それだけで大丈夫。
現在、もしも鬱に悩む人がいらっしゃったら、どうか参考にしてください。とにかく、だまされないように。だまされた人生観を持っているうちは、人のウソも国のウソも会社のウソも見抜けません。
マインドコントロールの時代には鬱は付きもの。そこから脱出する道は、心がこもる活動。心を込めて歯を磨く、、、心をこめて顔を洗う、、、心を込めて何か、やるべきことをやる。
夜眠る前には、自分自身におやすみを言う。声に出して、○○さん、おやすみなさい。と、名を呼んで言ってみる。
遠回りするようで、結局は早い、一陽来福の生き方。何度失敗してもやってみましょう。
昨日作りました立春ソープ、残りが今の時点で4個です。立春の香りを感じてみたい方は、公式ショップにてどうぞ。
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| ■ 立春から春分へ |
2012年02月02日(THU) |
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立春と同時に海王星がうお座に入る。占星術上の約束で、発見されるまではその星の影響は潜在的にしか現れない。
これは本当で、天王星が発見された同時期には、それまでの歴史ではありえないような事柄が立て続けに起きた。たとえば、革命、、、電気、、、地動説など。これらの考えは、これまでの土星を限界とする占星術体系からは捕えられない事柄であった。
世界も教会を中心にして、ゆるぎない世界観を形成しており、その考えが覆ることなど夢にも思っていなかった。 物理の法則も目に見えるものの集合でしかなく、目に見えないものがこの世に存在するという考えはなかった。 しかし、そこに地動説が説得力を持って現れ、革命というこれまでの教会や王権が中心となる権力構造を脅かす事態が生じ、 電気という目には見えないが確かな力を発見する。
こうした事柄を説明する占星術の星はなかった。しかし、こうした事象に対応するようにして、天王星が発見されるのである。
そして、革命、電気、予想不可能な出来事などは、天王星という星が背負うことになっていく。肉眼の目では見えない世界が、天王星発見によって開けてくることになったわけだ。
次に発見されたのは、海王星である。海王星が発見された時代は、天王星以降急速に発展した機械化、合理化、オートメ化、まだ幼稚とは言え、個人としての意識の存在が発展する。
それに従って、これまでとは異なる心の中の世界観が人間の中に出てくる。
工場で働く女工さんの中に、これまでと異なるむなしさ、、、犠牲でしか果たせない労務のつらさ、、合理化の裏で犠牲にされていく人間心理、、、そして時代をいち早く捕える天才たちは、人間性が疎外されていく新たな時代を絵画や文章で表現する。
そうした者たちの中に、実際に目に見える世界ではなく、それよりも心の中にある心象が世界を形成しているのではないか、、、という直感が芽生えてくる。
印象派などもそうした一派のひとつであっただろう。目に見える世界と個が持つ心の世界、、そこに現れたのが、フロイトであった。人は無意識によって支配されている、、、、主にリビドーという強い性的なエネルギーが無意識の中で人を動かし、運命と呼ばれるようなものさえ作り上げていく、、、という、新たな人間観が出てくる。
これらの新たな認識は発見された海王星と結び付けられて理解されるようになっていく。
次に発見されたのは、冥王星であった。目に見えないが確かに存在する三つめの、もっとも遠くにある惑星として発見される。
それは比較的最近であり、わずか80年ほど前のことだ。この時、科学は進歩し、ついに核をつくるに及ぶ。その破壊力のすさまじさは、広島と長崎の実験とも思える残虐性によって実証され、それを遂行したアメリカの御威光としてその後の世界支配構造を構築した。
このように、冥王星は、核、そして絶対的な力、そしてこの世的な支配力という、大きな権威的な力を暗示する星となっていく。
ただ、この星はアメリカの学会の上によって、無理やり惑星に祭り上げられたが、近年、あまりに小さい、、、ということを根拠に、小惑星に格下げされる。私はそのことを重視し、これでアメリカの力は急速に衰えること、さらに、核の脅威が民間レベルにまで落ちてくるという未来をただひとり述べたが、確かにアメリカは以降衰退を始め、民間レベルでの核問題は福島の悲劇によってからくも実証されてしまった。
福島は大変な悲劇であるが、逆に言うと、これは人間の手によって克服できる問題との位置づけとなるはずだ。また、そうしなければならない。
ざっと見てきて、このように、惑星発見と時代とは見事にリンクしている。土星以降のトランスサタニアンと言われる惑星の運行は、これからの時代を読み解く重大なカギともなる。
そのひとつ、海王星が本来のうお座にもどってくる。戻るというか、発見後初めて、ホームグランドの土を踏むことになるわけだ。
このことについては、何度か書くこととなると思うので、本日はごく一部にとどめたい。
海王星うお座インの中心的テーマは、インチキな科学性、、、インチキな宗教性、、、インチキな人間性、、、インチキな政治、、、という末法の時代に生きる我々が、心の中にうるおいのある世界をつくり、それをいとおしむ生き方を、自動的に、時代防御的に作り出すメカニズムが急速に無意識的に働きだすことを示す。
外部を取り巻く無慈悲とインチキに対応するかのように、私たちは犯されることのない、心の中のロマンに気づいていく。それは単なる幻想ではなく、宇宙のリズムとつながる入り口になっていくところが、これまでのインチキロマンとは異なる点なのだ。
これから急速に私たちは、外はウソにまみれていても、自分の心の中の世界はウソを入れない、、、また、誰にも犯されない心の世界の中に、本当のものとつながるポイントとパワーが眠っていたことに気づいていく。
外向きばかりで、自分の点数稼ぎ、、、自分の地位づくり、、、人気取り、、、、そうしたものが、急速に力を落としていく。政治もその一つであるし、宣伝もマスコミもそれらの中にある。
この動きは急速である。
立春から春分、、、心の中に描いたイメージが大きな存在となっていく。
写真の本は、sayaさんという私の友人というか、お世話になっている方がお出しになった星占いの本。
これまでの星占いの本も素敵なものが多いですが、sayaさんの御本は、まさに海王星的な点がみごとでした。読み進むうちに、占星術の知識ではない、占星術のロマンの部分が心にしみこんでいく、、、
占星術は5000年の歴史を刻む人類文化ですから、含まれるエッセンスには無意識的なものが多く、それらは解説や説明からは伝わらない。ロマンとしてそうしたものが伝わって行く、、、、その意味で、どうしても海王星うお座イングレスと同時に御紹介したいと思っておりました。 「わたしという星になる 12星座のノート」saya マーブルブックス から出ています。1600円
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| ■ かまきりの卵 |
2012年01月30日(MON) |
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昨年の秋にどこかのかまきりの卵が、例年よりも異様なほどの高さに産みつけられている、、、ということから、今年は豪雪、、しかもこれまで体験したことのないような豪雪かもと、ニュースで言っていたのを覚えている。
詳しくは忘れたが、毎年70センチほどのところに産みつけられるかまきりの卵が、昨年は3メートルだかなんだか異様な高さにあるということだった。
かまきりの卵は、毎年その年の最高積雪のちょっと上にあると言う。決して雪に埋もれない位置に卵を産み落とすわけだ。
それによると昨年のかまきりは今年の豪雪を完全に予知し、行動したことになる。かまきりの予知は凄いが、そんな豪雪になったら、過疎地帯の家家はどうなってしまうのだろう。
多少は雪かきの補助金は出るだろうが、そんなものはすぐに使い果たしてしまうだろうし、豪雪になったら家はあっという間に重みでつぶされてしまう。
雪の重さは恐ろしい重さだ。大きなプールが家の上に乗っかっているようなもので、一晩に数メートル積もるような大雪が何日も降り続いたら、過疎地のご老人の家などひとたまりもない。
避難すればいいと簡単に思う人もいるだろうが、そうしたら、春に戻ったら家は潰れてしまっているだろう。
若い人のいなくなった豪雪地帯に自然の猛威が襲うこの冬。これまでの時代の問題点が本当に色々な場所に、色々なケースで出てきている。
ふるさとの我が家をつぶしたいと思う人はいないに違いないと思うが、都会での仕事を離れるわけにもいかない、、、ということだろう。
しかし、どうなんだろうか。もう、都会の仕事にへばりつくより、我が家にもどり、地域に根差した活動をしていった方が、本当は得する時点に至ってはいないだろうか。まあ、人の考え方によるとは思うが、今、都会で仕事にへばりつくにも、そんな簡単なものとは違う。
就職は絶望的、あってもすぐに結果を求められる仕事内容。なんでもいいというのならあるにはあるが、せいぜい時給900円。その上、のんびりなどやってられない。死ぬほどの連続作業。 まあ、本当にひどい時代になった。上の金儲け主義のために国民が奴隷にされてしまった。上だった、このままいけばこけるに決まっている。となれば、誰ひとり人を幸福にすることのないシステムにしがみつく必要などあるのだろうか。
その間にも、ふるさとの我が家は豪雪の中に沈んで行ってしまう、、、、二重の損失。
かまきりにさえ、次の年がどんなだかわかるのに、人間には目先のことしか見えない。
きょうの朝のニュースを見たら、雪下ろしを人に頼んでやるには、一回で3万円以上かかってしまうらしい。
昔も豪雪はあったが、その時には、村にも町にも、若者が多くいたので、どうにか守れた、、、ということだ。
今の私たち日本人は、心の冷たい上の利益のために死に物狂いで働き、その見返りは、家族不和、将来の不安、不健康、ストレス、そして、本当に自分を守ってくれていたものの喪失。
今のやりがいのないような仕事のために、ふるさとを捨てるのはもう損なのではないだろうか。
畑と田舎の家とがあれば、なんとか人は生きてはいけないか。原点はそこにあるのだが、頭ではわかっていても、何が私たちを踏み止ませるのだろうか。習慣もあるだろうし、将来の不安、他に何も安全なものはないというしがみつきもあるだろう。 しかし、誰もがもうこのままでこの先、この日本が良くなっていくなどとは思ってはいない。いずれは、沈みゆく船から海に飛び下りなければならない時が来ると、薄々誰もが感じているのではないか。
ならば元気があるうちの方がよい。もう冷たいものには頼らず、自分の力で生きていく決意だけでもそろそろ必要になってはいないか。
まだ豪雪地帯がふるさとでない人はいいかもしれないが、豪雪地帯に父母を残してきた人は、心中本当に大変だと思う。しかし、これは豪雪地帯のみの問題ではなく、日本人全体に向けられたことにような気がする。
いずれおそかれ早かれ、都会にもさらに厳しい事態が訪れないとも限らない。今、日本に起きていることは、決してどれも人ごとではないのだ。
すでに、海外から見たら、関西だとか北海道、九州だと言っても、福島や東京とまったく同じに見ている。
だからと言って何も悲観的になる必要などないが、この逆境を自分独立の機運に持っていかなくては損すると思う。
もうすぐ立春がやってくる。新しい希望の旅立つ時である。立春に思ったことは必ず成し遂げられる。弱い人間でも強くなる時がある。それが立春だ。弱さの中でも堅い土を破って芽が出てくるように、なんでも、どんな幸運も、最初は弱さから、信じられないような弱さから出発する。
強くなるのを待ってからでは何もできない。弱いうちに立つこと。弱いうちに始めること。
立春大吉
弱いからできる。弱くて良かった。あなたの弱さとは何か。弱さを知り、そこから始めるのが立春。まずは計画からで大丈夫。
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| ■ 大切なものはそう多くはない |
2012年01月26日(THU) |
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物事をスムースに有効に運ぶためには、優先順位を間違えないこと、、、
豊かに生きるためには、ひとつづつきちんと終えて結果を出すこと、、、
幸福になりたいなら、付き合う人を間違えないこと、、
仕事にありつきたいなら、早く起きること、、、
このように色々と大切なものはあるが、中でも食と命に関した智恵は必要だろう。
私はこれまで、体に良い食べ物や悪い食べ物があるとばかり思っていたが、どうやらそうでもないことを知った。
確かにひどい食べ物、命のない食べ物があり、逆に波動のよい食べ物、命のある食材など、体に良いものがある。これは本当のことだと思う。
そのため、誰でもよいものは何か、悪いものは何か、、と考えるようになっていく。それはそれで仕方ないし、必要なことでもあろう。
しかし、もっと大切なことが実はある。
それは、自分の体の中にある機能である。この機能を有効に使うのか、使わないのか、、、そちらの方が本当は重要であることに、恥ずかしながら今の歳になってから気づいた。
誰の体の中にもある機能を使えば、本当は誰もが健康になり、正しい考え方に行きつくようになるのではないだろうか、、、と勝手にだが思っている。
もったいつけずにそれが何であるかを言うと、それは消化機能である。消化機能は原始的で非常に本質的なものをもっている。命そのものを体現してもいることに気付いたのだ。
体に良いものを食べることは重要だが、そんなもの、今のスーパーにあるのか、、、今の海にあるのか、、、今の畑にあるのか、、、、探せばあるのかもしれないが、生活は日々の連続である。
いつでも体によい食材を集めることはできない。みんなある程度の中でやりくりしているわけだ。
もちろん、無農薬の野菜、米の方がよいだろうし、水も水道水は怖くて飲めない、、、その気持ちは当然だし、私も水道水をそのまま飲む気持ちにはなれない。
せめて浄化装置を通った水にしたいとは、一般の人の気持ちだし、またそうした方が確かに良いと思う。ただ、そのこととは別に、もっと重要なのは、消化機能の理解だ。
ラスプーチンは毒を食べても死ななかったが、似たようなことは日常に起きている。ラスプーチンとは言わないものの、女子バレーの有名選手が、昔ラジオ番組で、私は子供のころからお菓子しか食べませんでした、、、というのを聞いたことがある。
体に悪いお菓子や命のない食物しか食べなくても、意外に元気で健やかに暮らしている人もいる。一体なぜなのだろう。
おそらく消化機能に原因がありはしないか。消化機能というと、単に消化するための機能、、、としかとらえないが、そうではない。
消化機能とは、異質のものを体に取り入れ、異質なもの同士のミックスから、毒物を取り除き、それらが体に良いものへと変化させて体に取り入れる機能なのだ。
この機能が高度に働いていれば、場合によっては毒を食べても栄養になってしまう可能性がある。
では、消化機能にとってもっとも大事なものは何か。それは、噛むことだ。噛むと唾液が出る。
ここが問題で、私たちは食物を食べ、それを体に取り入れるために、唾液が出ると思っている。
本当はそうではないのではないか。食物より、大切なのは、唾液だったのではないか。
唾液が食物と噛むことによって交わる。この時、食物という異質のものと、自分の体から出る唾液という成分が咬合し、愛し合い、融合し、新たなものへの変質するのではないか。
おそらくそこには微生物の異様とも思える増殖などが起きているのではないか。食べ物と唾液は微生物を育てることが本当の目的なのではないか。
そして体が求めるものは、食べ物でも、単なる自分から出た唾液でもない、外界から取り入れたものをかみ合わせ、別の微生物群として、体に取り入れたいのではないか。 それは最終的に腸にて行われるのだが、腸で重要な働きをするものが、そのものずばり、微生物なのだ。それは消化吸収するために重要なのではなく、微生物自体が人間の食べ物であり、あらゆるものを発酵させ、命の物質へと変容させて、それを私たちが取り入れる。
人間とは、外界のものを、食物として取り入れ、その際に、噛みあわせ、唾液と混じり、新たな命の物質として、微生物を生じさせる命の材料として体に取り込むのだ。 私たちの命の継続は、食べ物を消化する際に出てくる、よく食物と噛みあわせした際の唾液にこそ、託されているのではないか。
なぜ、コアラはユーカリだけしか食べないで生きられるのか、、、パンダは笹しか食べないし。噛み砕く際に唾液と混じり、新たな命の材料として体に取り入れるので、大丈夫なのではないかしら。
人間も同様ではないか。北に住む人もいれば、南に住む人もいる。あらゆる条件の中で、人間は暮らしてきた。これからは放射能の中で暮らしていくという凄さだが、人間の体には、おそらく何が起きても適応できる答えがあるはずである。そうでなければ、こんなに長くも生きられなかっただろう。
その際に、何がいい、あれがいい、これがいい、、ではないのではないか。あれがいい、、、これがいい、、、では、結局は欲とはならないか。食欲こそが、人間を滅ぼす、実はトリックとして機能していたのではないか。
食欲は喜びであり、誰にでもあるものだが、食欲で食べたら、私たちは死の方向へ引きずられるようになっているのではないか。
占いの世界では、人が食べる姿を重視するものがある。占いに限らず、その人と近づきたい、、、その人と非常に重要な関係を結びたい、、、そう思った時、私たち人間はかなり以前から、共に食事する機会をつくったのではないか。それによって、その相手の人物を本当の意味で探ることができ、知ることが出来たからではないか。
お見合いの席でも、必ず、共に食事する、、、という段階がやってくる。そこで、「おやっ、、」と思われれば、破談となることもあっただろう。
命に対する感性、人間性が食を通じて現れてしまうからである。
食欲で食べる人は、命の本質には近づけない、、、、そうした道理がきっとどこかにあるのかもしれない。日本人がはしを大切にして常に持参したのには、食と命のつながりがあることが前提になった風習だったのではないか。
食とは、そして消化機能とは、すなわち、食物を食べることが目的だったのではなく、食物をかみ合わせることで唾液と混ぜ、新たな命の元の物質として、体に迎え入れることだったのだ。 毎食毎食、私たちは、無意識にこうした外界を命の世界に取り入れる儀式を行っていたことになる。
これを粗末にして、なぜ命について語れよう。
私たちも、もちろん自分も含めて、食についてもう一度、きちんと考え直す時がやってきていると思う。
食事とは、食物をとりいれるよりも、唾液を飲むことなのだ。食物と合わさった命の唾液を飲むことだとわかれば、食に対する考え方もかなり変わってくる。
菌類がなぜ炭水化物や甘いものを欲しがり、それによって増殖していくのか、、、人間の食べ物も、基本はだから炭水化物なのかもしれない。ご飯をよく噛み、それにあった副采を噛むことを邪魔しない程度に取り込む、、、それでは栄養が足りない、、、それでは偏ってしまう、、、
そういうことはあるだろうが、人間はどんな時代もどんな環境でも、これからも生きていかねばならない。神はそうした機能を必ず、人間に与えている。そのひとつが消化機能であり、外界と和する道がここに見えてくる。噛むことで、唾液を飲むことで外界と和する道が見えてくる。それが生きることと直結している、何よりも大事なことなのだ。
こう思ったらいてもたってもいられず、ごはんとみそ汁、そしてお漬物だけで、気持ちを込めて、みんなで作り、食べる、、、、そうした会がやりたくなった。
さっそく料理教室を当たって調べています。31日に下見に行ってきて、そこが良いようでしたら、2月か3月にはそうした、命の食の会を開きたいと思います。
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| ■ 年賀状 |
2012年01月24日(TUE) |
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今年もまた遅れてしまった年賀状。お年玉付き葉書きの商品発表のあとなので、なんとなくお年玉葉書きは使いずらい。「なんだ、外れた葉書きで今更送ってきてるよ、、、」と思われるし、賞味期限切れの印象も。 毎年、遅れるのが恒例になってしまったが、今年も立春大吉で行きたいと思います。まだ全員に出してませんが、立春までにはなんとか。
一年にたった一度の礼儀も欠くとは、本当に情けない話しだけど、性格だとしたら困ったものです。こうしたことをきちんとていねいに時間をかけてできる人を、昔から本当に尊敬している。
年賀状を書いていて思うのは、今年も字が下手ということだった。
字はどうすればうまくなるか、、、特別なことは不要だという。字を書く機会があるたびに、ていねいに、きちんと書くようにしていけば、40歳を過ぎたころには、誰でもうまい字になっている、、、と、歴史アナリストの新井氏の父上から伺ったことがある。
何事にも魂を入れて、その都度行うことが大事なのだろう。そう言えば、念入り、、、という言葉がある。
たとえば、念入りな化粧、、、まあ、それにだまされた男性も多いと思うが、逆に素ッピンに惹かれる男性も多い。このように力学には二通りがある。
執念、と強い思いによる力。もうひとつは、天然の自然な流れにまかせる力。最初強いのは前者であるが、やがて後者が勝ってくる。
念入りは、印象付けであり、思いを持つものの支配力がすべてである。一方、素ッピンは本人は自分の美を意識していない。自分の力を意識していない。その魅力は、周囲の発見による。 そして人は、自分が発見したもの、見出したものに実は価値を置く。なので、美の強要や思想の強要、力の強要には、心の奥で嫌悪を感じる。
時には念入りも大事だが、すべてを神にまかせる安心感ほど強いものはない。念入りな化粧で愛されても、化粧を取らねばならない時はやってくる。
素ッピンで愛された女性は、それ以上、何も必要がない。ちょっといやらしい表現だが、体だけでいいから、身ひとつで来て欲しい、、、というものである。
素ッピンとは、何も美貌や若さのことだけではない。どこか素ッピンの人は、必ず発見される。認められる。こちらが売りこまないのに、相手の方から気づいていくれるのだから、その印象は強烈で決定的である。
審査員でも面接官でも、本人が気づいていない、本人が売りこんでいない部分を、発見したとき、あらゆる不利な条件を飛び越えて、その人を選びたくなる。
何が言いたいかというと、あなたの魅力も価値も、あなたが知らないところにあるということだ。神も人も、あなたが知らない素ッピンの部分を愛している。
だから何を着よう、何を食べようと、思いわずろう必要はない、、、ということになるのだろう。どうせ厚化粧しても、きっと見破られてしまう。ならば素ッピンで生きて、素ッピンで愛されたほうが得ではないか。
どんなに厚化粧していても、気づいてない部分で愛されているのだから、安心して厚化粧を止め、自分が本当はものすごく魅力的な存在なんだ、、、と、自分ではわからないものの、そう思って暮らしていけばいい。
アザラシの赤ちゃんも、クマの赤ちゃんも、ライオンの赤ちゃんも、そして人間の赤ちゃんも、みんなそれをどこかで知っている。自分の魅力がどこにあるかはわからないけど、自分には魅力があるんだよ、、、と、自信をもっている。なので、大人に言いつける、命令する、わがままを言う。赤ちゃんはそうやって、自分の魅力で生きていく。
本当は大人も同じ。自分の売りの部分、自分の自信のある部分、、、などという血迷い事にうつつを抜かした結果、素ッピンの気づかない魅力を忘れたしまった。
そして勝手に悩んでいる。御苦労なことなのだ。
間違いなく、あなたには、あなたが気づかない魅力を持っている。それを信じることです。
自分にはこんな人にはない力がある、、、 自分にはこんな人にはない魅力がある、、、 自分にはこんな人にはない才能がある、、、 自分にはこんな人にはない、、、、があると、、、そう思うのも自由だが、その時点で動きは止まり、生命力の枯渇が始まる。
自分が完ぺきになったと思った時、間違いなく人は死にます。やるべきことも変わるべきものもなくなるので、そうなってしまうのです。それは神が求めた結果でも誰が求めた結果でもなく、自分の考えの帰結としてそうなるのです。
人生の危機とは何か、それはつくられた自分の完成を求める心理から訪れて来るのです。
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